2019年2月13日水曜日

脚と太もも


女性の足、いや、脚、いや、太ももを見るとドキっとするのはナゼだろう。

短いスカートでパンチラ寸前なら“禁断の三角地帯”が見えることを期待してドキッとする。


でも、パンチラに関係なく、脚線美には魅せられる。ショートパンツやキュロットだろうとも男の目線は女性の脚のラインに吸い寄せられる。

男が脚線美に魅せられる理由には諸説あるらしい。

男とはまるで形状が違うから気になる、お尻に続く導入部分だから目が行く、等々。もっともな理由だ。

また、そこだけ露出している、すなわち“部分的ハダカ”だから見てしまうという分析もある。

確かに短いスカートからのぞく脚は面積的にはかなりのものだ。そこだけハダカみたいなものである。

もし、全裸だったら他の部分に目がいって、きっと脚や太ももを凝視することはないかもしれない。


小学校高学年の頃だっただろうか、保健体育の教科書に思春期の男女の体についての記述があった。

女子については「丸みを帯び」と書かれていたのだが、そのフレーズにドキドキした覚えがある。いまだに私は「丸みを帯び」という言葉が大好きである。

女性の脚は膝をポイントにして、ふくらはぎと太ももという「丸みを帯び」が連立している。おそらくそれも大きなポイントだろう。


そのせいか、大半の男は細すぎる脚を好まない。いまどきの若い女性はパリコレのモデルのようなマッチ棒的な細さを追求しているが、男目線では「丸み」こそが大事な要素だ。

まあ、動物的な見方や哲学的な分析をしたところで始まらない。四の五の言ったところで、「パンチラへの期待」という部分も脚線美を考える上では外せない。


脚は見られたいけどパンツは見せたくない。短いスカートを履く女性は皆さんそう言う。

見られたくない、すなわち隠したい部分だから見たくなる。それが男の気持ちだ。全女性がパンチラに抵抗感がなかったとしたら男としても張り合いがない。

隠しているものがチラっと見えるから尊い。見えそうで見えないまま終われば敗北感、一瞬でも見えたら何かに勝ったような気分になる。

ちなみに、日本におけるパンチラ文化は数十年程度の歴史しかない。日本女性がパンツを履くようになったのが1930年代ぐらいだとか。

その後、スカート丈が短くなってきたことで生まれたのがパンチラという概念!?である。


パンチラに一喜一憂する習慣は、日本の長い歴史の中では、まさに「昨日今日」程度の話に過ぎないわけだ。

パンチラ文化が花開いた今の時代に生きていることは、歴史的見地からすると非常にラッキーなことである。

男として生まれた以上、そんな幸運をかみしめながら日々生きていきたい。

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