東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2019年4月1日月曜日
銀座のクラブに漂う「気」
何だかんだと10年もこのブログを続けているのだが、閲覧数の上位は銀座の夜のネタが多い。“知る人ぞ知る世界”みたいなイメージがあるから興味本位で読む人が多いのだろう。
私も若い頃は「銀座の夜」と聞くと知的好奇心(痴的?)が湧いていろんなことを知りたがった。探究心バリバリだった頃もあった。
以前、このブログで若かりし頃に“寿司屋探検”に励んだ話を書いた。寿司屋のカウンターで悠然と構えていられる渋い大人に憧れていたから、結構無理してアチコチのノレンをくぐった。
恥もかいた分、さまざまなことを覚えた。気付けばいっぱしの?50代のオジサマになったわけだが、銀座のクラブ活動も似たような気分で探検していた感じだ。
30代ぐらいの頃は、自分の中途半端な年齢が退屈だった。若造ではないのに貫禄もない。早く成熟した渋い大人になりたかった。
一種の背伸びしたい心理である。高校生がタバコや酒に手を出しちゃう感覚と似たようなもので、銀座のクラブというオジサマの世界に興味シンシンになったわけだ。
元々が凝り性な性格だから、足を踏み入れた以上、その世界にちょっとは詳しいつもりになりたくてピーピーしながら通ったのが実情だ。
50代になって、あの街でもすっかり収まりの良い年齢になったが、その分、背伸びする感覚は無くなった。どことなく感じていたアウェーな気分も消えてしまった。
今はすっかり腑抜けた感じでグダグダ飲んでいる。シュッとした姿でいようと気張っていた頃とは大違いだ。明確な加齢である。
でも、そんな変化も悪くない。気張っていた頃も楽しかったが、肩肘張らずにホゲホゲと過ごすのも違った楽しさがある。
夜のクラブ活動にオジサマ達が惹かれる理由は人それぞれだろう。着飾った女性に囲まれることでウッシシというパターンが基本だろうが、あの空気感を味わうことが醍醐味でもある。
他のどんな飲食店とも違う世界だ。極端に閉鎖的ではないものの、クラブという名前の通り、ある意味で同好の士が集っている。
場末のスナックではないから、集う人々も現役で活躍している御仁ばかり。言葉は悪いが、いわゆる負け組的なドンヨリ感をまとっている人がいないのが特徴だろう。
世のオジサマ達は運気みたいなもの、すなわち「気」に敏感だ。銀座のクラブで楽しく飲んでいる面々は、必然的に上向きの「気」に包まれている。
そんな人達が集まれば全体に漂う「気」がドンヨリしているはずはない。これって大きなポイントだと思う。
私自身、馴染みの店でグダグダ過ごしていても、店に漂っている活気を浴びることで無意識のうちに気分が上向きになる。
「気」の大事さは年齢を増すごとに痛感する。放っておいても年齢とともに気力は衰えてくるわけだから、自分がいる場所も出来る限り「気」が良い場所を選びたい。
大衆酒場でハムカツをかじりながらホッピーを飲むのも大好きだが、大衆酒場だって運気の良い店とドンヨリした店に別れる。
ドンヨリ系の店で過ごしてしまうと、千鳥足になった帰り道で既に自分がネガティブモードに陥っていることに気付いたりする。
いうまでもなく、ネガティブな状態は精神面、肉体的にも害にしかならない。
なんだか話がそれてしまったが、自分が正真正銘のオジサマになったことで、改めてオジサマにとって銀座のクラブがどういう役割を持つのかが分かったような気がする。
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