2019年6月19日水曜日

寿司屋のお手本「吉野鮨」


寿司屋でしっぽり。若かった頃に憧れた大人の姿だ。既に大人を通り越した?年齢になった今も、外食のジャンルの中で一番好きなのは寿司だ。

最近になって「寿司バブル」という言葉を聞くようになった。一人3万とか5万とかバカみたいな値段の店が人気を呼び、そんな店がなかなか予約が取れないらしい。

なんかヘンテコじゃなかろうか。そういう店に限ってネット上の評価は物凄く高く、一部の“信者”みたいな人々がやたらめったら誉めまくっている。

そんな値段でマズかったら、それは犯罪だ。美味しいのは当たり前の話だろう。

そういう店の多くは上等な素材にアレコレ手をかけて、つまみ10品、握り15貫みたいなコース仕立てで演出している。

もちろん、それ自体は大いにアリだと思う。手を変え品を変え少しづつ気の利いたものが順序よく出てくるわけだから客も黙って座っていれば幸せだ。

でも、そういう路線こそが寿司の名店の証みたいになっている風潮には違和感がある。

あえて言うなら、寿司割烹であり、寿司をメインにした料理店というカテゴリーだと思う。


寿司はもともと江戸のファストフードだ。参勤交代のせいで単身赴任男だらけだった時代に生まれたのが握り寿司だ。それこそ銭湯の行き帰りにパパっとつまむような気軽な存在だった。

もちろん現代もそうじゃなきゃいけないと言う話ではない。時代とともに食文化は変化するわけだからいろんなパターンがあってもいい。

ただ、緊張を強いられるような雰囲気の空間に座らされ、当然のように3万、5万という値付けをしてくる昨今の寿司事情がどうにも気持ち悪い。

私だったら、そんな値段を払うなら由緒正しき正統な日本料理の名店で熟練の料理人の味を楽しみたいと思う。それならちゃんとかしこまって器を愛でたり、季節を感じて気の利いた俳句の一つも詠もうってもんである。

意味不明でスイマセン。

日本橋に吉野鮨という有名な老舗がある。職場が近くなったので、何度か足を運んだ。極めてまっとうなお寿司屋さんだと思う。

ある意味、寿司屋のお手本と呼んでもいいのではないだろうか。


年季の入った職人さんが4人ほどカウンターに陣取る。感じも良い。かといってソフト過ぎるほどではなく、キリっとした職人気質も感じられて小気味よい。

ダラダラ飲みたくなるような雰囲気ではない。テンポ良く飲み食いしてサラッと帰るような過ごし方に向いている。

私は寿司屋では長っ尻をしてしまいがちだ。ヤボだとは分かっているが、ちょろちょろツマミをもらって酒を飲み、握ってもらう頃には結構酔いが回っている。

握りをしっかり楽しみたいと常々思うのだが、馴染みの店に行くとついつい甘えて過ごすから、せっかくの握りを堪能できないこともある。

さっきからエラそうに書いているくせにそんなものだ。

その点、吉野鮨に行くとダラ飲みはしない。1時間ぐらいでオシマイである。ダラ飲みしたい気分の時は別な店に行く。

軽く飲みながら伝統的な江戸前の握りをパクパク食べたい時にもってこいである。

刺身を少しずつ2~3種類もらい、その後、ゲソか穴子、小ぶりのサザエなんかを焼いてもらって軽く飲んでからが本番だ。

白身の昆布締めに、貝類に車海老、煮蛤、コハダ、酢締めされたアジやサバ、なんといってもマグロのヅケが絶品だ。こちらは油霜造り。

いわゆる仕事を施してあるネタが素直に美味しい。さすがに江戸前の老舗である。それでいて値段は決して高くない。適価だと思う。

ちょっとイヤミったらしく言うと、それなりに寿司のイロハが分かっている人に向いている店だろう。

もちろん、職人さんが親切そうだから詳しくない人でも心配はないだろう。でも、自分なりに寿司へのこだわりを持っているような人の方が店の良さを実感できるはずだ。

端的に言うなら、寿司バブルへのアンチテーゼのような極めてまっとうな名店だ。

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