もともと丑の日に“う”が付くものを食べると夏バテ対策になるという風習が原点だから、牛でも馬でもウリでもウサギでもいいわけだ。
「ウナギの日」みたいな扱いになってしまったから、前後の日も含めて普段は入りやすい鰻屋まで並んでしまう。困ったものだ。
ウナギスト?を自認する私はこれまでアチコチの名店と言われる店を覗いてきた。正直なところ、一定水準を超えている店であれば十二分に満足できる。
あとは居心地や私個人のちっぽけなこだわりによって、その店が好きかどうかの分かれ目になる。
ウナギ以外まったくサイドメニューが無く、ただ黙々と小一時間おとなしく待っていやがれ的な店は好きではない。
ああいう路線は客目線に欠ける。不思議なことにそれを有難がるマニアックな客がいるから、店もそれが当然という態度で平気な顔をしている。
なんだかな~って感じだ。
名店だの格式だのと聞かされただけで、そんな営業姿勢に疑問を感じずにひれ伏している客に限って、安い店ではちょっとしたことにクレームをつけたりする。
鰻屋に限らず、それがイマドキのグルメ事情ってやつなのかもしれない。
なんだか随分イヤミな書きぶりになってしまった。
話を戻す。
真っ当な鰻屋であればしっかり待たされるのは仕方ない。その分、気の利いたツマミが揃っていて、ゆったり酒を飲みながら過ごせるなら、待ち時間も楽しみになる。
先日、築地にある「宮川本廛」に出かけた。超有名店だが初訪問。今までは私にとって中途半端な立地のせいで行く機会がなかったのだが、新居から徒歩圏内になったのでいそいそ出かけてみた。
とりあえず老舗の大看板だから、気の利いたツマミがまったく無かったらどうしようと思ったが、さすがにそんなヤボな店ではなかった。
前菜、刺身、酢の物。大ざっぱだがメニューに書かれていて一安心。それ以外の「お通し各種」なる記載が気になったので尋ねてみた。
すると感じの良い仲居さんがアレコレと5つぐらい紹介してくるではないか。オジ感激である。「ウチは鰻屋でい、黙って待っていやがれ」的な店ではこうはいかない。
で、コハダと子持ち昆布をもらう。「お通し各種」という位置付けの通り、量は少なくて逆に有難い。だいたい、ツマミ用にコハダを用意してあるなんて実にイキである。単純な私はそれだけでファンになった。
肝焼きも頼んで、冷酒をグビグビ。コハダに子持ち昆布、肝焼きで一杯やりながらウナギを待つのは、オジ的には至高の時間である。
そうこうするうちに白焼きが登場。これがまた良かった。蒸しも焼きも丁寧な仕事ぶりが感じられる仕上がり。塩加減も強すぎず文句なし。
感心したのが白焼きを載せた皿だ。特殊な皿なのか、特殊な熱し方をするのか、ダラダラつまみながら飲んでいても最後まで皿中心部が暖かく、白焼きが冷めなかった。
パッと見は普通の皿に見えたのだが、このあたりの気配りに名店の矜持を見た思いがした。
そして鰻重がやってきた。一番最初の画像だ。ツマミが小量だったおかげで、まだまだ腹は膨れていない。フタを開け、あの香りに包まれた瞬間に“ウナガー魂”に火がついて、バクバクウシウシがっついて食べた。
実に幸せだった。
ウナギをこういう風に味わえる国に生まれたことは、人類史上という観点から見て、宝くじに当たったどころではないほどラッキーなことだと思う。
宮川、おいしそうですね。色々なつまみがあるのですね。肝焼きがあるのはスバラシイ。浅草にもお重の下に湯を入れててんぷらを冷まさない手法をとるてんぷら屋がありました。洋食でもありますよね。いい店でこうした心遣いがないとがっかりします。
返信削除私は、鰻をかば焼きにまで昇華させた日本の食文化は、諸国に誇れる偉大な文化だと思っています、が、鰻の地位はすっかり上がってしまい、今では年に数回しか食べていない、と哀れな状態になってしまいました。
私も同様に、つまみをつまんで本番に備える、といった体制が好きですねえ。
てんぷらを揚げる準備を見ながら、刺身を少しつまみ、刺身を食べ終わるのを待って、あげ始める。
勝手な店が多くなって、なんで寿司屋で揚げ物を食べなきゃならない、勝手にコースを作るな!と言いたいです。
こんな偏屈オヤジの行く店は、それなりに対応してくれていますが、後継者がいないなど、風前の灯になりつつあります。
ご存知かもしれませんが、大江戸の土曜のメニューはお値打ちだそうですよ(飲み仲間談)。とりとめもなくスミマセン。
佃在住サマ
返信削除蒸してから漬け焼きにする鰻の蒲焼きは日本人の追求心の凄さを象徴していますよね。
大江戸、土曜のいかだですね。あそこもニクいツマミがあってワガママに過ごせるから好きです。