まあ、自分のヨレヨレ話をあえて広めようという人はいないから、自慢合戦はある意味自然なことだ。
私だって似たようなものだ。あれを喰った、これがウマかった、どこに旅した、こんな事も知ってるんだぜ、等々、そんな話ばかり書いている。
ちなみに、相変わらずウマいトンカツに巡り会いました。ハッピーだった。
そんな話は読む人によってはただの自慢にしか見えないだろうし、ウザったく感じるはずだ。すいません。
でも、自慢するつもりが無くたって、人が何かを表現する時はエエ格好しいになってしまうものである。
もっと、ヨレヨレ、へろへろな話を面白く書けるように頑張ろうと思う。
さて、自慢話に溢れるSNSだが、自慢よりも厄介なのが、やたらと怒りを撒き散らしているケースだ。
そりゃあ、災害支援へのお上の動きが遅いとか、必要な怒りを発信するのは大事なことだと思う。
ちょっと前に話題になった「保育園落ちた。日本死ね」みたいな叫びも社会への必要な訴えかけなんだろう。
そういうテーマならともかく、ビールが冷たくなかったとか、タクシーの運転手の態度が悪いとか、身近な小さなことにやたらと怒っている人がいる、
普通に愚痴を言うぐらいならともかく、世の中の一大事みたいに怒っている書き込みを見ると、その人の精神状態が心配になる。
芸能人のすべった転んだみたいな話を意味不明な目線で真剣に怒ったり、知り合いでもない著名人の不倫に真剣に怒ったり、なぜか滝川クリステルにやたらと怒ったり、なんだか「怒ること有りき」みたいな書き込みを結構目にする。
ああいう人達って、きっと「怒っている自分」が好きなんだろう。正義感みたいな感覚に酔っているというか、自分は硬骨漢なんだぞ的なアピールがしたいのかもしれない。
たぶん、日常生活でいろいろと抑制されているから、その裏返しで怒りを爆発させているのではないか。
奥さんに叱られ、職場でも叱られ、ラーメン屋のオヤジにまで叱られ、イジイジしている反動で怒りを世間に発信しているのかもしれない。
だとしたら気の毒な話だ。気の毒であり迷惑な話だ。
SNSなどそっち系の分野に詳しい人によると、ネット黎明期の頃は今よりも情報交換の場としての活用が主流で、怒りをぶちまける場になってしまったのは、近年の傾向だとか。
ちょっとしたことでもネット上のクレーマーが騒ぐから、企業をはじめ、生産者やサービスを提供する側もやたらと事細かに神経を使うようになった。
結果、大らかさは失われ窮屈な空気が広まることになってしまった。ちょっと大げさかも知れないが、一部の人のマスターベーション的で思いつきみたいな怒りの発散が窮屈な世の中を招いてしまったわけだ。
つくづく、どうでもいいことには勝手に一人で怒っていて欲しいと思う。世間の共感を集めようとしないで欲しい。
SNSやネットの世界は、それこそ今風の言葉でいえば「ゆるく」使うのが間違いない。
眉毛に白髪が混ざってて残念とか、ホテルの入口で女性に逃げられたとか、賞味期限を2年過ぎたカレーを食べて下からもカレーが出たとか、そんな話で盛り上がればいい。
薄っぺらいぐらいがちょうどいいと思う。
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