2020年5月15日金曜日

サイドシートの影


ステイホーム、おうち時間などと言われても一人暮らしの身にとってはとくに構える話でもない。

家飲み、家メシともに、もともと一人ぼっちである。ぼっちなどと書くと淋しげなイメージだが、私はぼっちが嫌いではない。気が楽だ。

独り者とはいえ、子ども達とはマメに会っているし、職場に行けば誰かと会話もする。シングルライフがつらいとか淋しいと思うことはない。

孤独を楽しむなどというと大袈裟だが、一人遊びをうまくこなせるかどうかは生きていく上で案外大事な問題かもしれない。

一人でいる良さのひとつが物事をよく考える点だろう。別に難しい話である必要はない。バカげた妄想やスケベな思い出し笑いもアリだ。

アレコレ考えているだけで自分のアンテナみたいな部分がちゃんと機能するような気がする。

悪く言えばヒマが多いという意味でもある。とはいえ、ヒマと上手に向き合うことは人生を上手に楽しむことと直結している。



前振りが長くなったが、最近は散歩や一人ドライブに励むことが増えた。不要不急だと文句をつける人もいるので、一応、ドライブも用事のついでに楽しんでいると言い訳しておこう。

散歩もドライブも結局は、アーでもないコーでもないと何かしら頭の中をよぎっている。ただゲームに熱中したりマンガに没頭するよりは頭の体操になっている気がする。

昔はクルマの運転が好きで、東京からクルマで出発して北海道を一周して帰ってくるような元気さもあった。

昔はちょっとぐらい酒気帯び気味でもヘッチャラな世の中だったので(ウソです!)、ヒマがあればドライブしていた。

その後、歳とともにハンドルを握る機会が減り、近場の温泉なんかにも電車で行く機会が増えてしまった。

渋滞が嫌いだから首都高はなるべく避けるのだが、最近はこんなご時世になっちゃったから首都高もガラガラ状態である。



正月やお盆の数日を除き、来る日も来る日も首都高が空いている状況は歴史的な珍事だろう。免許を取ってから35年以上が経つがそんな経験はない。

今の住まいである新富町エリアから実家のある荻窪界隈までは。首都高を使うと随分と大回りなのだが、ガラガラだから使わない手はない。

一般道ではあり得ないようなコース取りになるが、距離にして18キロほどである。地方の高速のようにかっ飛ばせない首都高での18キロは結構な長さだ。

適度なドライブとして悪くない距離だ。大声で歌いながら快適に走っていられる。今は事前にネットで混雑状況を確認しなくても大丈夫なのも嬉しい。

裏返せば、それだけ一気に経済が止まってしまった何よりの証拠だから恐ろしい現実であるのも確かだ。

夜のドライブも楽しい。さらにガラガラである。都心中心部のビル群も灯りはまばらだ。静まりかえった東京の夜をハマショー師匠の名曲「サイドシートの影」を歌いながら流す。



このところヘンテコになってきた自律神経が整ってくるような気がする。快適にドライブしながら歌うという行為は間違いなくストレス発散につながる。

最近は深夜の首都高でルーレット族やらローリング族と呼ばれる走り屋連中が暴走しているらしい。クソ迷惑な話である。

ちなみに、あまりにガラガラな首都高は意外に走りにくい面もある。周囲にクルマが走っていないから速度感覚がマヒしがちだ。

それに加えて結構なクネクネが続くから、あまりボケっとしているとコーナーで慌てることになりかねない。

こんな怖さを実感したのもコロナ禍の副産物である。気をつけてホゲホゲ走りたいものだ。


4 件のコメント:

  1. 昔は、車でゴルフ場に行っても、ランチのビールは問題ないことになってましたね。(ウソです!)

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  2. そんな噂?は普通にありましたよね。

    飲み会の場所が不便なところだとクルマで行ってた時代もありました(ウソです)!

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  3. 飲み屋の前に車を駐めるのも、
    問題無かったです。(ウソです)

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  4. 駐車場付きの居酒屋もありましたね!
    飲み過ぎで運転しながら吐いたこともあります(ウソです)。

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