2020年7月27日月曜日

健脚になりたい 伊能大先生


暑くなると散歩に励みたくなる変な性癖がある。汗をかくせいで「運動したんだぜ」という錯覚を味わえるからだと思う。

先日、30年ぐらい前に住んでいたエリアを散歩してみた。私が24才の頃から3年ほど住んだマンションの中に勝手に入ったりしながら当時を懐かしんだ。

そのマンションの横は公園で、盆踊りの頃には爆音で騒ぎ立てるのが迷惑だった思い出があるのだが、何とその場所に「トキワ荘」が復元されていて驚いた。



マンガの聖地である。昭和の人気漫画家がこぞって暮らしたアパートを復元した観光施設である。町興しにつなげようという取り組みだ。

私が住んでいた頃は、トキワ荘のトの字も聞こえてこなかったが、公園の名前もトキワ荘公園になり、通りの名前もトキワ荘通りに変わっていた。

周辺には昭和レトロを感じさせる雑貨屋やカフェも出来ていて急な変わりようである。あざとい、いや画期的な取り組みだろう。人出も多くなって街に活気が出ればいいことだ。

別な日、杉並区内の実家を訪ねる機会があった。今は幹線道路沿いのちょっと騒々しいマンションに暮らす私としては、実家の庭の緑を見回すと、静かな環境に心が洗われる。



都心のど真ん中に住んで便利さを享受するのも快適だが、本当は緑の多い静かな環境に身を置く方が人間らしい暮らしなのかもしれない。

老後はどんなところで暮らそうかと結構真面目に考えている私にとっては悩ましいテーマである。

実家の周辺を散歩するのも楽しい。なんてったって子供の頃に過ごしたエリアだ。事細かに思い出が甦ってくる。

ヨソ見しながら自転車をこいでいて激突した電信柱、デカい迷い犬に追っかけ回された路地、冬眠中のカエルを見つけて引っ張り出した空地、ロケット花火を打ち込んでみた建設現場の今の姿など、いろんな出来事を思い出しながら歩くのが楽しい。

ここが自分のホームタウンだったのだと痛感する。大人になってからは根無し草みたいな暮らし(大袈裟か・・・)だから、郷愁に浸りながらガラにもなく自分の人生を問い直したくなった。

話は変わる。

そんなセンチな散歩ばかりでは楽しくない。馴染みの無いエリアをキョロキョロしながら歩くのも散歩の醍醐味だ。

先日は、深川界隈を歩き回った。時代小説ばかり読むようになったから、江戸の町人達に思いを馳せながらの楽しい散策だ。




昔から残る仙台堀川沿いを歩いたり、無造作に置かれていた芭蕉像に驚いたり、古いお寺の由緒書きに見入ったりするのが楽しい。

小説の世界に頻繁に登場する深川不動や富岡八幡あたりは、数多くの記念碑や史跡案内板があって飽きない。

かの伊能忠敬大先生が全国測量に出発する前に安全を祈願したという話などを読むにつけ同じ場所に今現在自分が立っていることに感動する。



あの時代に50才から全国行脚したわけだから超人である。事業家として結構なリッチマンだったそうだから、私だったら隠居したら遊んで暮らすはずだ。

ところが伊能大先生は、隠居してから天文学などを学び始め、ひいては17年の歳月をかけて全国を測量しちゃう。まさに傑物。

もちろん。徒歩である。電車もバスも無い時代だ。道だって未舗装でスニーカーのような便利なものも無い。

江戸時代の旅は言うまでもなく徒歩である。「男十里に女九里」と言われたように、普通の男性は1日に40キロは歩いたわけだ。

当然、街灯は無いから日が出ている間にそれだけの距離を毎日毎日歩いた。ちょっと驚異的である。

140キロも歩くのは私には無理だ。もし歩けてもその後数日間は寝込むだろう。いや死んじゃうかも知れない。

それに比べて伊能忠敬大先生の健脚ぶりはスーパーマンとしか思えない。サロンパスも無い、ユンケルも無い、ポカリスエットもウォークマンも無い、休憩所に生ビールも無い。

一例をあげれば、北海道の根室のほうまで半年もかけて歩いて行ったらしい。あの時代だ。ずーっと未開の地を歩いて行ったわけだ。いったい何が彼を突き動かしたのだろう。

ほんの1時間も歩けばヒーヒー言ってしまう私としては、今後の散歩の際には常に伊能大先生を思いながら気合いを入れようと思う。

伊能大先生の話は、20年ぐらい前に映画化されたことがあったらしいが、もっと脚光を浴びなきゃいけないだろう。大河ドラマの主人公にすべき一人だと思う。






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