2020年12月4日金曜日

今日は真面目な話

今日は久しぶりに真面目な話。ふざけた話が好きな方には退屈でスイマセン。

 

時代の流れとともに変わってきたのが「官僚」のイメージだ。私が社会人になった頃とは随分違ってきた。

 

30年ほど前は財務省もまだ「大蔵省」の時代である。大蔵官僚に限らず、官僚といえば日本でも図抜けて優秀な面々で緻密な行政運営に手腕を発揮している印象が強かった。

 

昭和、平成、令和と時が過ぎ、政治主導が色濃くなったせいだろうか、官僚に対する“物凄く優秀”というイメージが揺らいでいる。

 

GoTo事業のドタバタをみているととくにその思いが強くなる。とにかく後手後手。その一言だが、あまりにズサンだと思う。

 

冬に新型コロナの感染者が増加することは誰もが予想していた話。子どもだって分かっていたレベルの常識だ。

 

にもかかわらずGoToトラベルを例に取れば、感染拡大時の往来の制限方法やルールをまったく設けていなかったことは異常だと思う。

 

優秀なはずの日本の役人が、こうなったらこうする、ああなったらこうやるといった想定に基づいた運用をしていなかったことは驚きだ。

 

ただ場当たり的にバタバタしているだけ。何だか学園祭の実行委員会レベルだ。いや、学園祭を頑張っている人に申し訳ないほど低レベルだろう。

 

医療崩壊を防ぐためにコロナ専用の施設を臨時に設ける必要性も春から指摘されていた。

 

それこそオリンピック用に作った数々の施設がガランとしたまま放置されているわけだし、それに限らず、思い切って大規模な施設を転用したり、早めにいくつものホテルを借り切るなど、療養や隔離のための施設を準備しておくことは出来なかったのだろうか。

 

そのような施設の設置はあくまで自治体マターなのだろうが、国会審議を経ずに確保された10兆円もの予備費のうち、まだ7兆円も残っているのが実態。国が自治体と協調して準備するような動きもないままだ。

 

「政治主導」が叫ばれるようになってから官僚の“地盤沈下”は進んだ。昔は超優秀な学生はキャリア官僚の道を選んだが、いまではブラックな仕事内容が嫌われている。待遇面でも遙かに稼げる国際金融やIT系が人気らしい。

 

確かに一昔前より官僚の天下りは厳しくなり、各方面への影響力も以前ほどではなくなったのは確かだろう。

 

その分、国士と呼べるような大物官僚はいなくなった。単なる政治家のシモベみたいになる傾向は強まっている。

 

森友問題における財務省の公文書改ざん事件のように政治への忖度のせいで、あり得ないほど小賢しいインチキ仕事にまで手を染めるわけだから、ズレかたは深刻だ。

 

そうは言っても、多くの官僚たちは国を思い必死に頭脳を駆使して難しい仕事をこなしている。そう考えるとGoTo事業のドタバタなどは、単なる「政治家へのあてつけ」なのかと穿った見方もしたくなる。

 

政治家から思いつきの政策を丸投げされ、それに意見したり注文すると左遷されかねないから渋々と淡々と政策を運用しているだけという構図だ。

 

いわば、言うこと自体はとりあえず聞くものの実はソッポを向いているような感じである。

 

「はいはい、やっておきますよ。どうなっても知りませんけどね」といった感覚だ。

 

そういうことなら、GoTo事業などのトンチンカンぶりも辻褄が合う。だとしたら現状の官僚組織の動きは、国として構造的な大問題であり危機的な状態だろう。

 

政治主導という勇ましい言葉がもてはやされ、マスコミを始め誰もがそれを無条件に支持してきたのが、ここ1020年の国の形だ。

 

その結果が今の状態だとしたら悲劇みたいな話である。一強政権が生まれてしまえば、官僚組織は政権への忖度だけが最優先課題になる。

 

国民の安心安全という課題は二の次になってしまう。まさに悪循環である。とても危険だと思う。

 

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