「麒麟がくる」が終わってしまって明智光秀ロスである。コロナ禍で大河ドラマ史上初の年越し放送、2月に入ってからの最終回だった。
もちろん、最終回は「本能寺の変」一色だった。これまで長年にわたって映画や大河ドラマで数え切れないほど見てきた場面だが、今回はかつてなくジーンときた。
“究極のボーイズラブ”であり“究極のオッサンズラブ”として描かれていた本能寺の変は実に画期的だった。
一般的には恨みバリバリの主君討ちというのが本能寺の変のパターンだ。今回の大河ドラマでは、惹かれ合っていた信長と光秀の切ない別離として描かれた。
最終回の切なさを際立たせるためだけに1年以上の放送があったように感じた。これまで染谷将太という俳優は知らなかったが、彼の信長役はとてもインパクトがあった。
ドラマだから史実に忠実である必要はない。悪者イメージが根強い明智光秀を新しい角度から描いた試みはすごく良かったと思う。
そもそも明智光秀を主役にしたことがすべてである。これに尽きる。この2~30年の間に様々な歴史研究が進み、かつての「単なる悪役」イメージはだいぶ変わってきたのは知る人ぞ知る話だ。
歴史は言うまでもなく勝者が語り継ぐもので、敗者の論理は抹殺される。実際は謎だらけだ。石田三成にしても敗者だから良いイメージは無いわけで、明智光秀はその最たる存在だ。
明智側にも言い分はあるわけで、本能寺の変の直後に、急ぎ駆けつけた秀吉に撃退されていなかったら歴史はまったく違うものになっていたわけだ。
山崎の戦いで仮に光秀が秀吉に勝っていたら、その後、織田信長は単なる悪辣オヤジとして語り継がれた可能性もある。
今日、織田信長がスーパーヒーローとして国民的人気を得ている状況は、あくまで秀吉の視点からのものでしかない。
歴史モノは想像を働かせられるロマンの世界だ。作り話や伝説だとしても実在した人物が元になっているわけだから単なる創作モノよりも迫力がある。
昨年あたりから池波正太郎、藤沢周平、山本周五郞などの主に“市井モノ”の短編ばかり読んでいるが、時々、実在の有名人ネタが網羅されたムック本などに寄り道するのも楽しい。ステイホームにおける私の楽しみになっている。
Amazonで探しているとなかなか見つけられないのだが、実際に本屋さんに足を運んで、歴史モノの書棚を眺めると、思わず手に取りたくなるムック本が並んでいる。
先日買ってしまったのは「鬼と怨霊」という一冊。なかなか深い洞察に満ちていて日本人の精神性や文化を学ぶにはもってこいである。
心の中にある邪悪な部分を映す鏡として鬼は時代によって姿を変えて人間社会に根付いている。数々の言い伝えなどが網羅されていて読み応え満点だと思う。
なんだか、このブログらしからぬ方向に話が進んでしまった。
軌道修正?のために他にもやたらと面白く読んだ歴史モノを紹介しよう。
その名もずばり「性生活の日本史」である。ワイ談のネタを探すには最適!?な一冊だ。それ以前に日本人として非常に勉強になった。
フリーセックスが盛んだった大昔の日本人がどのように変わっていったのか分かりやすく解説されている。
寺院の台頭、武家社会の到来によって戒律や規律という名のシバリで大きく変わったセックス環境、風呂好きの国民性が招いた乱交文化?の話など興味深い話が盛りだくさんだった。
古来、日本人には純愛も不倫という概念も無く、まずはセックス、すべてはそこから・・・という実にうらやましい行動パターンが普通だったとか。
その部分だけは、本気でタイムスリップしてみたいものである。
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