風流、風情、情緒。日本人が古くから愛する美意識だ。いっぱしの大人ならこういう感性を大事にしたいものである。
虫の鳴き声を風流に感じる感性は西洋社会には無いそうだ。コオロギ、鈴虫などの音色は古くから和歌にも詠われ、江戸時代にはカゴに入れた虫を売る商売が大繁盛した。
今は見かけなくなったが、昭和の頃にも鈴虫やキリギリスを売っているのをよく見かけた。虫の音色を鑑賞して季節を楽しむ文化がしっかり残っていた。
こんな話を書き始めたきっかけは、ここ数年やたらとセミの鳴き声に癒やされているからだ。
昔はただやかましいだけだった蝉時雨に物凄く惹かれるようになった。これも一種の加齢効果だろうか。
「しずけさや岩にしみいる蝉の声」。あの句も芭蕉が晩年に詠んだものだ。酸いも甘いも噛み分けてきた歳になるとセミの声に独特な郷愁を感じるのかもしれない。
私の住まいの周りでは気のせいか、今年はセミが鳴き始めるのが早かった気がする。せわしないようなクマゼミ、ただの異音みたいなアブラゼミだけでなく、ミンミンゼミも既にしっかり鳴いている。
これからツクツクホウシも加わって合唱状態になるのが楽しみだ。先々週、このブログで炎天下の散歩が好きだと書いたが、蝉時雨真っ盛りになると夏の散歩がこの上なく楽しくなる。
ヒグラシの初鳴きはまだ聴いていない。あの音色の魅力は私ごときの文章力では表現できない。郷愁を誘う物悲しさにわけもなくジンときてしまう。悲しくもないのに泣けるぐらい心がわし掴みされる。
ここ数年、ヒグラシの音色に遭遇すれば必ずといっていいほどその場に立ち止まる。結構長い時間を瞑想するかのような気分で過ごす。
桜の花が散っていく時のような「もののあわれ」を強く感じる。若い頃には気付かなかった感性なんだろう。歳をとって良かったと思えるほど琴線に響きまくる。
話は変わる。音で郷愁を感じるのは自然界に限らず、音楽も同じだ。若い頃に聴いていた音楽に懐かしさを覚えて感傷的になることは多い。
最近、散歩しながらイヤホン越しに流れてきた30年前のTUBEの曲「夏だね」に何とも言えない郷愁を感じて我ながら驚いた。
https://www.youtube.com/watch?v=X7QXmq8yM-w
発売当時はたいして興味も無かった曲なのだが、改めて何となく聴いていたら妙に琴線に触れた。
端的にいえば夏ってワクワクするよねという単純な歌なのだが、二番の歌詞の「裏切られても 傷ついても 年をとってもワクワク」という部分が刺さった。これまた加齢効果である。
この曲、こっちのYouTube動画のほうが歌詞も表示されるし、カワイコちゃんが水着で笑ってくれるからオススメです。萌えます。
https://www.youtube.com/watch?v=OCx3demAZz0
最近はAmazonミュージックの上級会員登録のおかげでありとあらゆる音楽が聞き放題という嬉しい環境にあるのだが、アナログ人間だから大事なことに気付いていなかった。
家で音楽を聴く場合は、ありきたりのBluetoothスピーカーを使っていたのだが、それこそワクワクするような音質ではないのが気に入らなかった。
ところが、リビングのテレビにつないでいるホームシアタースピーカーがAmazonミュージックにつながることにようやく気付いた。
テレビ用のスピーカーとはいえ音質はかなり上質なので割と迫力あるサウンドが楽しめるようになった。
スマホで作っておいた自分のプレイリストもそのまま聴くことが出来るし、今まで気付かなかったことがバカみたいである。
というわけで「NO MUSIC, NO LIFE」みたいな気分でこの夏を乗りきろうと思う。