2021年12月6日月曜日

正論原人


おおらかな時代に若者時代を過ごしたから今の窮屈な世相が時々イヤになる。コンプラ、コンプラと何かと言えば縮こまる。誰もが思っている当たり前のことですら世間様の目を気にして口をつぐむ。

 

ネットの世界を中心にあげあし取りや正論の押しつけ、つまらぬ密告ばかりが飛び交う。それが世の中の総意かのように勘違いする人も多い。

 


 

もちろん、守るべきマナーはある。こんな貼り紙を出した人はどんな目に遭ったのだろう。何だかお気の毒だ。

 

話は変わる。

 

先日、あの清原が新庄ビッグボスの就任会見の出で立ちに批判的なカキコミをしたら一気に叩かれまくったそうだ。

 

清原には清原の意見があって当たり前。ましてや書き込んだ内容は監督就任の時ぐらいキチンとした格好をするべきだったというもの。

 

そういう意見を持つ人だって一定数いるはずだが、バッシングした勢力はそんなことはお構いなし。問題は清原への人格攻撃にまで発展しちゃう行き過ぎた流れだ。

 

イヤな感じである。

 

ネットの書き込みは便所の落書きと同じと言われてきたが、ネットの影響力が大きくなればなるほど単に見過ごせないものも増えてきた。

 

怒りありき、文句ありき、正論原理主義者みたいな人々がマスターベーション的な思いつきだけで他人を攻撃する。何だか気持ち悪い世界だと思う。

 

先月のことになるが、大谷翔平が日本記者クラブで会見を行った。1時間にわたって様々な質問が飛び交った。

 

ネットの世界では結婚観や税金についての質問が出たことに相変わらずの怒りの声が広まった。

 

やれバカな記者だ、出禁にしろ、野球以外のことは聞くな等々、お決まりの“怒りありき”の批判で盛り上がっていた。

 

“正論原人”からすればこれも立派な正論だ。野球選手の凱旋会見なんだから野球の話を聞きたいというのが基本ではある。

 

とはいえ、国民的スターの凱旋会見であり、あの場はスポーツ記者会の会見ではない。分野を問わずすべてのメディアによる取材の場だから野球以外の質問が出るのは普通のこと。

 

実際、テレビも新聞も正論原人達が批判しまくったそうした野球以外の部分のやり取りばかりをしっかりニュースとして使っていた。そんなものだろう。

 

結局、野球以外の部分にも国民の多くが興味を持っているのは確かで、そこを尋ねたくなるのは至極当然だと思う。

 

もちろん、それでも批判的な見方があるのが世の常で、100人に100人が同じ方向で納得することなどなかなか無い。

 

「小室さん」の件だって誰もがいろんな印象や意見を持っている。当然だろう。でも自分の意見や主張を闇雲に他人に押しつけて異なる意見を排斥しようとするのはおかしい。

 

反論は反論であって相手を攻撃することではない。人格攻撃みたいにエスカレートする物言いしか出来ないことは実に淋しいことだ。

 

攻撃的な表現、攻撃的な文章はどうしたって品がない。下品にしかならない。頭が良い人なら自ら下品の道は選ばないと思う。

 

思いつきで乱暴な書き込みをする人は何かを発散しているのだろう。いつも何かに抑圧されてウツウツした気分をネットの世界で正義感を気取ることで解消しているような気がする

 

だとしたら何とも虚しく切ない話だ。

 

とりあえず正論なら自分の意見がトンチンカンではないことに自信が持てる。だから例えば誰かの不倫をとことん叩く。

 

単純に不倫は悪いことだからそれを叩いても反論される心配は無い。結果、悪いことをしたヤツには何を言っても許されると勘違いして常軌を逸したテンションで糾弾する。

 

こうなるとアドレナリンも加わった怪しげな正義感になる。でも当人にとっては正義は正義、正論は正論である。そして硬骨漢な自分に酔っていく。

 

そういう行動に無縁の大多数の人にとってはもはやホラーの世界である。

 

「どこそこで誰それがマスクをしないで歩いてた」「大事な選挙に行かないヤツなんて非国民だ」など、あらゆる場面で正論原理主義者の実に正しい「理屈」が飛び交う。

 

その理屈をテキトーにあしらったりするとヘタをすると人格まで否定されちゃうから実に窮屈だと思う。

 

いきなりだが「寅さん」が今の時代に生きていたら毎日毎日嘆いていたはずだ。

 

ついでだから寅さんのお決まりのセリフを書いて今日はおしまいにします。

  

「理屈を言うんじゃないよ! 大事な時に」

 「ざま見ろ、人間はね 理屈なんかじゃ動かねえんだよ」

 

 

 

 

 

 

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