2022年3月11日金曜日

放浪生活、共同生活


4月中旬ぐらいに引っ越すことにした。10年ほど前にシングルライフ生活を始めてから4度目の引越になる。なんだか放浪の民みたいでビミョーだ。

 

でも新天地に移ると気分も変わるし、いろいろリセットされるような気がして慣れてくると案外悪くない。今度は娘と同居という画期的な暮らし方になる。

 

成人した娘と今になって一緒に住むのはどんな感じになるか想像できないが、普段から頻繁に会っているし、しょっちゅう旅行にも行くのでとくに問題はないはずだ。

 

物件探しで最初に決まりかけたのは勝どき橋にほど近いマンションだ。職場からあまり遠くないエリアで探したので高層マンションばかりが候補にあがる。でも私は高いところが苦手だ。人様が暮らす場所ではないと思っている。今の住まいである5階だってあまり嬉しくない。

 

低層マンションが少ないエリアだから仕方ないが、その勝どきのマンションは7階。妥協出来なくはない。隅田川沿いに建っていて眺めが最高だった。川向こうには築地市場の跡地や浜離宮があり、斜めを見れば東京タワーもある。

 

隅田川沿いの遊歩道を散歩するのが好きな私にはもってこいだが、いかんせん職場からちょっと遠くなる。タクシーも拾いにくい立地だったし、他の物件もあれこれ調べてみた。

 

で、決めたのが中央区内某所のマンション。総合的な便利さで他よりも気に入った。娘も気に入ったようだし、収納も多く使い勝手が良さそうな間取りだから物が多い私に適していると思う。

 



今の住まいからは歩いて15分ぐらいだろうか。同じような生活圏である。すぐ近くにコンビニがいくつもあるし、徒歩圏に飲食店もいくつもある。都心暮らしの便利さは維持できるのが助かる。ちなみにこの画像は次の住まいとは関係ない物件。

 

問題はいま使っている徒歩1分の美容院、徒歩30秒のお寿司屋さん、徒歩3分の焼鳥屋さんから遠くなることである。たいした問題ではないがわりと大した問題である。

 

以前までは方位がどーだとか引っ越し時期があーだとかを一応気にしていた。怪しい霊感占い師にみてもらうことが常だったが、それももうやめた。あれを気にしているより自分が持つオーラやパワー!?を信じることにした。

 

半世紀以上、大過なく過ごせてきたわけだし、ああいうものを頼らないでも充分にハッピーに生きてきたわけだからヘタに影響されないほうが精神衛生上も良いはずである。

 

さて、娘との共同生活である。楽しいだろうが大変でもある。裸族みたいにウロウロ出来ないし、汚い姿をさらすわけにもいかない。タバコも吸いまくれないし、飲んで帰った後に牛丼特盛りを食べる姿も見せられない。

 

変な話、予定のない週末に土日とも風呂に入らないことがあるのだが、そんな汚物みたいな父親像を見せるわけにもいかない。ここに書けないような諸々の行動だって自制しないとならない。

 

そうは言ってもすべて当たり前の状態に軌道修正するだけである。野放図だった暮らしがマトモになると思えば良いことだろう。

 

思えば私の祖父は家にいても常に居住まいを正していた。寝間着姿でウロウロすることもなかったし、着るものだけでなく、髪やヒゲもキチンとしていた。80を過ぎて亡くなるまでその姿勢を崩さなかった。

 

やはり昔の人はちゃんとしていた。私など足元にも及ばない。あの姿勢を見て育ったわりに低レベルな自分の日々の姿を恥ずかしく思う。今回の引っ越しを機に家にいるときも少しはマトモな姿で過ごすようになれば私の人間力も上がるかもしれない。

 

あとは頑張りすぎないことだろう。これまでは娘が泊まりに来れば私は頑張ってサービス全開モードになっていた。食事の世話、スイーツの準備、部屋の温度管理、寝間着の心配など娘が小さい子供だった頃と同じような感覚でアレコレ小うるさく気を遣う。

 

一緒に暮らしたらもっとテキトーにやらないといけない。娘にとって煩わしいだけでなく私がきっとバテる。掃除、洗濯、洗い物なども全部自分でやらないと気が済まない性格だから、そんな習慣を適度に見直さないと何かと問題だろう。

 

娘の20年の人生のうち半分ぐらいの時間を一緒に暮らさなかった。これは私の責任である。今更ながらここから先の共同生活の時間を有意義なものにしたいと思う。

 

いつか私が死んだ時、娘の記憶の中の私はどのように思い出されるのか。ダメダメ父ちゃんなのかリスペクトされる父親なのか。当然後者のほうが嬉しい。そうなることを目指してみよう。





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