一番好きな食べ物を聞かれて「寿司」と答えることは多い。実際にお寿司屋さんにはちょくちょく出かける。ウンチクも人よりたぶんたくさん語れる。
と言いながら寿司を食べた後にはいつも何か口に入れたくなる。とくにジャンクな味がするもので口直しというか口壊し?をしたくなる。カップ焼きそばみたいなガツン系の味が欲しくなる。
ひょっとして寿司が苦手なのかと本気で思う。他の食べ物の時には食後に別な味を欲しがったりしない。寿司の時ばかりそうなる。体質に合わないのだろうか。
若い頃、お寿司屋さんに行った後に必ずマックに寄ってフィレオフィッシュを2つ食べるというヘンテコな習慣があった。魚繋がりのつもりだったのか我ながら謎だ。
そんな状況でも今も週に一度はお寿司屋さんの暖簾をくぐる。刺身をちょこっともらい気の利いた肴を2つ3つつまみ握りを8貫ほど食べたら満足だ。ひょっとしたら握りを15貫ぐらい食べれば食後のジャンク食いをしなくなるのかもしれない。
一般に寿司の中でもキングの扱いを受けているのがトロだ。私はトロがあまり好きではない。上質な赤身のほうが断然好きだ。好みの味のヅケがあればなお嬉しい。
コースで食べさせるイマドキのお寿司屋さんが大の苦手なのだが、“本日のハイライト!”のようにトロが自慢気に出てくるのがイヤだからである。かといって事前に「トロは苦手です」と伝えるのもアマノジャクオヤジみたいで気が進まない。
やはり好きなものを好きなように注文してこそ寿司である。好みに偏りがあろうが同じものばかり食べようがちっとも悪くはない。カウンターで食べる寿司とはそういうものだろう。
寿司ネタにもいろいろあるが、やはり古典的というか地味ながら確実に美味しいネタが結局はウマい。貝類でいえば赤貝ばかりがスター扱い?されているが、私は断然アオヤギ派である。
味はもちろん食感がシャリとの相性抜群だと思う。ツブ貝やホタテ、はたまたアワビあたりはシャリとの相性が良くない。生のトリ貝の握りも好きだが、食べられる時期がかなり限られるのが残念だ。
貝類の中でも古典的なネタの代表が煮蛤である。“煮ハマ”を置いてあるお店はさほど多くないが、逆に常備してあるようなら昔ながらのキチンとした仕事をしている店の証だとも言える。
ツメを塗りすぎると甘ったるいだけだが、バランス良く仕上げられていると貝の凝縮された旨味を堪能できて最高だ。数ある寿司ネタの中でももっとスター扱いされて然るべきネタだと思う。
ツメ問題をついでに語れば穴子の握りなどでもやたらとベットリ塗られちゃうことが多い。あれは興醒めだ。ちょこっと塗るぐらいじゃないとネタの味が無くなる。
穴子の握りだけでなく穴きゅう巻きなども同じ。シャコの握りも同じ。板前さんに「ツメは少しにしてください」と一言伝えるのが賢明だ。
穴子は風味が命だろう。ツメ問題は大事なポイントである。私の場合、ツマミとして穴子を焼いてもらうことも多いのだが、ツメは別な小皿に入れてもらうこともある。
なんだかクドクド語ってしまった・・・。
このブログで何度も書いてきたが私が一番好きな寿司ネタは海老だ。茹でた車海老である。それこそ江戸の頃は大スター級の扱いだったのが海老の握りだ。
色合いの鮮やかさだけでなく火を入れてこそ甘味と旨味が強まるアノ味わいは生の魚が食べられなかった当時、他のネタに比べて抜きんでた存在だった。
今の時代は安い回転寿司で出てくるぺらぺらの怪しい海老のせいで茹で海老の地位は下落している。私はあれを謎エビと呼んでいるのだが、謎エビのせいでトバッチリを受けたマトモな車海老が不憫で仕方ない。
別に高い店じゃなくてもキチンとした保守的な仕事をしているお寿司屋さんなら茹で海老の握りを食べて外した気分にはならないと思う。ボタン海老も甘海老も美味しいが“ナマ連合”に押されっぱなしの茹で海老のことは応援したくなる。
安い回転寿司屋が悪いわけではないが、そっち系の店の影響で間違った認識をされているのがエンガワだ。ヒラメなどの縁側である。
身肉ではなくヒレを動かす外周部分に当たる。コリッとした食感と独特の旨味が美味しいネタだが、ヒラメ一匹につき握りにするなら3~4貫分しか取れない部位である。
回転寿司で出てくるエンガワもあれはあれで美味しいが、あちらは海の深いところに住む巨大な別な魚を使っている。昔から食べられてきたエンガワとは異次元のものだ。さすがに普通のヒラメやカレイのエンガワのほうが繊細な味がする。
大衆店ならともかくちょっとしたお寿司屋さんで注文する場合は「エンガワちょうだい」ではなく「エンガワある?」が正しい表現となる。そのぐらい貴重なネタだ。とはいえ、以前、若いオネエサンに食べさせたら「回転寿司のエンガワのほうが好き」と言われた。
打ちのめされたような気がした。
そんなものである。
寿司といえば巻きものも外せない。穴きゅうやネギトロ、トロタクなどは酒のアテにつまむのも悪くない。トロが苦手な私でもネギやたくあんが加わると食べたくなる。
欲を言えばトロは刺身を叩いて作ってくれると嬉しい。あらかじめ削いであるすき身でも構わないのだが、その場で刺身を叩いてもらうとその場限りの手作り感が強まって贅沢な気分になる。気分だけでなく食感や味の深さの点でもすき身とは一線を画す。
巻きものの中で不当に低い扱いに甘んじているのがかんぴょう巻きだ。これまた古典的なネタだが、わざわざお寿司屋さんで食べるものではないと思っている人が多いのではないか。
出前の寿司の桶の端っこでついでのように佇んでいる風情がいけないのか、はたまた駅弁なんかにもナゼか付け足しのように参加している節操の無さのせいか、かんぴょう巻きを愛する人の話はあまり聞かない。
かんぴょうは植物の干物だ。寿司以外で口にすることは滅多にない。でもどこのお寿司屋さんにも必ず置いてある。自家製で作っているお寿司屋さんだって多い。
いわば寿司を語る上で外せない一品である。その理由は寿司飯との相性だろう。普通の炊きたての白米と合わせてもウマいのだろうが酢飯との相性は絶妙だ。
ということは「シャリがウマい店」ならかんぴょう巻きはゼヒ食べるべきという方程式が成り立つ。当たり前だが寿司の命はシャリだ。そうはいいながらウマいシャリで握ってくれるお寿司屋さんは思ったより少ない。
もちろん、これも私の個人的な思い込みかも知れないが、世の中のマイルド化にともない寿司飯も昔より随分と頼りない感じに変化してきたように感じる。
ネタを引き立たせるためにシャリの味を弱くするのは分かるがそれも程度問題だろう。酢飯感やコメの旨味をまるで感じないやる気のないシャリを出す店は多い。そんなシャリでかんぴょう巻きを食べても確かに何の感慨もない。
シャリのウマい店なら俄然かんぴょう巻きがイキイキと躍動するように感じる。かんぴょうを見くびっていたことを反省したくなる。大袈裟だがそんな感じだ。
かんぴょう巻きにはワサビをしっかり入れてもらうのが基本だ。俗に「鉄砲巻き」だの「さびかん」だのと呼ばれるが、そんな知ったかぶった言い方で注文するのはヤボである。
「かんぴょう巻きちょうだい。ワサビしっかり入れてね」。これが正しい。お寿司屋さんでシメに食べるのに最適だ。しっかりワサビでピリっとリセットできる。
今日は調子に乗って自分好みの寿司の食べ方をウダウダ書いてしまった。
こういう話をお寿司屋さんに連れて行った若いオネエサンに語るとウンチクオヤジとして嫌われる確率が高いことを申し添えてオシマイにします。
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