2022年10月14日金曜日

ハラスメント天国


なんちゃらハラスメントが大ハヤリである。部下に強めに指示しただけでパワハラ、酒を飲みに誘っただけでアルハラ。ヒドい話になると「お弁当作ってきましたよ」がセクハラだと騒がれるらしい。

 

女性社員が好意で作った弁当も男性社員が気持ち悪いと感じればセクハラなんだとか。やれやれって話だ。大らかな昭和に生まれ育った私からすると世も末だと感じる。

 

こんな調子だと励ましただけなのにパワハラと騒がれ、ブスな社員が隣席になっただけでセクハラと言い出すヤツが出てこないとも限らない。困ったものだ。




もっと言うなら私の前にミニスカで現れる女子はみんなセクハラ状態である。私がオドオドしちゃうわけだからハラスメントである。オドオドするのは不快とは違うからセーフなのか・・・。すいません、脱線しました。

 

とにかく世知辛いというか、どうにも世の中が殺伐としている。攻撃的な人や揚げ足取りに血眼になる人、協調性や予定調和とは無縁なエゴの塊が社会を回しているような感じである。

 

その昔、「頑張ろうニッポン」のアンチテーゼのように「あきらめようニッポン」と冗談めかして言う人がいたが、もはや冗談では済まない状況なのかも知れない。

 

失われた10年という言葉も今や昔、失われた30年どころか今も失われ続けているこの国は、気付けば外国人が爆買いのために遊びに来る国になった。「何でもかんでも安いニッポン」だから当然の現象だ。

 

思えば、強い経済力を背景に日本人が海外でブイブイと肩で風を切っていたのは随分と昔の話になった。私自身、2030年前は東南アジアで豪遊していた。レストランや土産物屋で値段を見もせず好き勝手に注文していた。

 

アッという間に立場は逆転した。もはや日本経済は海外から来る人にお金を落としてもらうしか浮上出来ないほど劣化している。間違いなく国内産業の育成に対して無策だったツケだ。

 

ちょうど10年前、東京五輪招致のプレゼンで話題になったのが滝川クリステルの「オ・モ・テ・ナ・シ」である。わが国のウリがそれしか残らないことをあの時点で予言していたようで凄くシュールな光景にも思える。

 

いま成功している人、活躍している人は総じて旧態依然とした価値観の外にいる人ばかりだ。目先の利く人は古くからの日本型社会を信用していない。そのせいでとかくハネっ返りだの変人だのと言われる。

 

でもそういうネガティブなレッテルを貼る側は古い価値観の中に安住して座して死を待つような面々ばかりだ。変化が怖いからハネっ返りをクサすことで無意味な自己正当化をはかっているのだろう。

 

私自身、すぐに昔を懐かしがってしまうのが悪い癖だ。時代から取り残されている証だろう。世の中が窮屈になっただの世知辛くてイヤだなどとウジウジ言っても始まらない。前を向いていれば懐古趣味に浸っているヒマはないはずである。

 

昭和の成功体験の呪縛も社会の閉塞感に無関係では無い。労働人口が圧倒的に多かった当時の人口構造を考えれば、当時と今を比較することはあまり意味が無い。世界でも例を見ない年寄りだらけの国になった今の現実に目を向けた生き方や仕事の在り方を模索しないとなるまい。

 

話は変わる。先日、某飲食店経営者に売り上げ状況を尋ねる機会があった。コロナ前を100としたら今はどの程度まで回復したのかと尋ねたのだが、帰ってきた答えは「130ぐらい」だという。それを聞いて自分自身の思考停止状態が恥ずかしくなった。

 

私の尋ね方自体がコロナによる打撃を引きずっているはずという前提だった。その段階で既に私は取り残されている。生き馬の目を抜く商売人からすればいつまでもコロナがあーだこーだと嘆いてはいられない。

 

状況がどうあれ前に進む人は進む。言い訳を考えているヒマはないわけだ。自分の中で「世の中はコロナで停滞している」という思い込みが染みついていることを痛感した。‘’言い訳コロナ‘’は悪しき習慣であり実にダメな考えだ。

 

さてさて、入国制限がほぼ無くなり、これからドカンドカンと外国人がやってくる。激安効果が今ほどじゃなかった以前ですら年間4千万人ぐらいの訪日観光客があったわけだから、この先どこまで伸びるのだろう。

 

日本人が外国人観光客にアゴで使われる時代になったことは何だか淋しい話だが、イジケているだけでは何も生まない。したたかに勝機を探してアンテナを磨く必要がある。

 

それにしても今後は外国人観光客という黒船の外圧が新たなインフレを招き、部分的には経済の活性化も生じるが、恩恵を受けない階層、取り残される階層などとの格差の拡大は想像以上のペースで進む。

 

既に着実に広がっている社会の格差はますます大きくなって今とは比べられないほど分断社会の様相は鮮明になってくるはずだ。それに伴う社会保障の問題や、細かく言えば治安の懸念など今後わが国を取り巻く環境はどんどん変わっていく。

 

個人的には悲嘆に暮れながら昔を懐かしんでダラダラと残りの人生を過ごそうかと思っているのだが、私の年齢だと悠々自適に隠居するにはビミョーに早い。

 

時代に応じて新たに生じる需要に目を付けて商機をつかまえるぐらいトッポく生きていかねばなるまい。

 

なんだか自分への叱咤激励みたいな話になってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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