2023年4月21日金曜日

脚は裏切らない


ドライブデート。若い頃はそれが定番だった。ちょっとぐらい酒を飲んでも誰もが運転しちゃっていた昭和の頃(ダメです)は私も日々ムダにガソリンを消費していた気がする。

 

あの頃はクルマがその人のアイデンティティかのような風潮があって、やれ誰それはビーエムを買ったらしい、誰それのソアラはカッチョいい等々、クルマの話題が結構大きなウェイトを占めていた。

 

カーオーディオもまだカセットテープを聴く時代だったからデート相手に合わせてオリジナルカセットの編集に励んだものだった。定番はボズ・スキャッグスの「トワイライトハイウェイ」だった。泥くさい?ハマショーのテープは一人ドライブの時だけコッソリ聴いていた。

 

ラブホ代わりにクルマを利用する猛者もいたが、私はそういう趣味はあまりなかったのでもっぱらラブホへの移動手段にクルマを使っていた。どうすればアルファインに連行?出来るだろうかと頭の中で必死にルートを考えていた。カーナビなど無かった時代だから脳トレみたいな日々だった気がする。

 

時には思ったようにコトが運ばず一人帰り道で乱暴な運転をしてちょっとした事故を起こしたこともある。迷惑極まりない話である。若気の至りだ。

 



時は移りいっぱしのオジサンになった頃から助手席に乗せる女性にはミニスカートを着用してくれと言明、いや厳命するようになった。そういう点がオジサンのオジサンたる所以だろう。若い頃なら恥ずかしくてそんなリクエストは出来なかった。

 

女子連れで温泉旅行に行く際も現地に着いてからアレコレと楽しめば?いいのにクルマ移動の車中の「眺め」にもこだわり始めたわけである。いま思えば運転に集中できないから危ないったらありゃしない。

 

おまけに助手席のミニスカート女子にここでは書けないような注文をつけてそれを眺めていたわけだから法的にも問題だ。安全運転義務違反という道路交通法にも引っかかる話である。

 

今の私のクルマには車内も常時録画するドライブレコーダーが装着されているから当時そんなものがあったら物凄い動画が記録されていたはずだ。そう考えると今の時代に車内で怪しげなことをしたらドラレコに記録されてしまって大変である。アチコチにデジタルタトゥーの魔の手は潜んでいるわけだ。恐い恐い。

 

一応、まだ現役男子のつもりだから今だって女子を助手席に乗せてドライブすることがある。昔からの悪いクセで相手が若い女性ならミニスカート“厳命”である。いつまでもバカである。

 


別にドライブに限らず私はミニスカートが好きだ。しかしたとえば飲食店に入っても相手が向かい側の席に座るとミニから覗く脚は見えない。まるで無意味な事態になる。

 

カウンターの席ならば“眼福”になるが、カウンターの中に陣取る料理人の存在が気になって真横にある美しい脚線美をジーッと眺め続けることは難しい。私にだって「脚なんか見てませんよ」とトボけた顔をするぐらいの見栄はある。

 

ドライブならば横並びだし脚を遮るカウンターも無ければ邪魔な料理人もいない。見放題である。赤信号になればガン見するし走行中もチラ見に励む。事故を起こさないように普段より気をつけるし良いことづくめだ。

 

だいぶ前にこのブログでも脚線美について哲学的に考察した(http://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/12/blog-post_20.html)が男が女性の脚線美に見せられるのは「脚は裏切らない」という一点に尽きるだろう。

 

顔は化粧を落とせば裏切られる。美しく見えた後ろ姿も前に回ってみればかなりの確率で裏切られる。コロナ禍になってからはマスク美人達に随分と裏切られる現象が生まれた。もっと言えば内面、すなわち性格や人間性にも裏切られることばかりなのが世の現実だ。

 

身体的パーツにしても裏切りだらけである。胸は寄せてあげてパットを使うことによって縦横無尽に男性を騙す。腰のラインだって矯正コルセットみたいな武器を使われればコロっと騙される。

 

そんな裏切りだらけの世界でも脚は裏切らない。顔も性格も抜きに脚だけ眺めていれば平和な時間が過ごせる。半世紀以上生きてきて私が気付いた世の中の真理はそのぐらいかもしれない。

 


相変わらず何が書きたいのか分からない話になってきた。言いたいことはミニスカート万歳という話である。ジェンダーうんぬんと騒がしい世の中になってしまったいま、麗しき女性陣は皆さんミニスカートを履くべきだなどと叫ぶと各方面から糾弾されて逮捕されそうだが、私が今回の選挙で主張する政策?はそれぐらいしかない。

 

意味不明でごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

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