昔から「音楽をやっている人」にちょっと憧れていた。子供の頃から音楽の授業は苦手で、たて笛みたいなヤツもちっとも上手く吹けなかった。幼い頃にピアノを習わされたが1日でやめちゃったし、あくまで音楽は聴くことが専門だった。
ピアノやギターを演奏できる人はカッチョいい。ラッパを吹ける人もカッチョいい。ドラムを叩ける人なんか神様のように思える。若い頃から来世では音楽を奏でる人に生まれたいととずっと思っていた。
そんな私もひょんなことからバンド活動に首を突っ込んで10年以上が過ぎた。気付けば一応「音楽をやっている人」になっている。我ながらビックリである。
先日、わがオジサマバンドの今年初の全体練習があった。新たに腕っこきのパーカッションの人を加えて11月末のライブに向けて再始動である。
ライブでの演目候補も絞られつつある。一応課題曲はメンバーで共有していたが、全員揃うのは今年始めて。この日はまだ“ヨチヨチ演奏”だろうと思っていたのだが、意外にもレベルの高い仕上がりぶりに驚いた。
私はバンドのメインボーカルというか、フロントマンである。そんな私が一番準備不足だった。大いに反省しないといけない。
仕上がりの良いメンバーの演奏に感心しながら、その中に加わってアーダコーダ言っている自分を俯瞰して眺めてみたら私もちゃっかり「音楽をやっている人」である。何だか妙に嬉しい気分になった。
バンド活動に首を突っ込んだのは2012年のことだ。当時はギター2名とボーカルの私による3人編成のアコギバンドだった。初めてのライブはいくつかのバンドとの競演、いわゆる対バン形式で6曲ぐらい披露した。
あの日のド緊張は今も鮮明に思い出す。心臓が口から飛び出そうな感覚を初めて味わった。一応、テレビやラジオでしゃべったり数百人の聴衆を前に講演をしたり、それなりの経験はあったのだが人様の前で「音楽をやっている人」になるのはまったく別の感覚だった。
10年以上たった今も激しく緊張する。でも中年男の図々しさが年々強まってきたので以前よりは成長したはずだ。初ライブの翌年からワンマンライブを続けるようになった。気付けばバンド編成もだいぶ変わった。今年の演目はアコースティック路線が少なくなってフルバンド編成の楽曲が中心になる。
年々、前の年とは変わった雰囲気を出そうと試行錯誤を続けている。それが結果的に自分たちのハードルを上げてしまい中々大変である。でもその大変さの中にこそ面白さも潜んでいるのだろう。
バンド活動を初めて少し経った頃、楽器に無縁の人生を歩んできた私もギターに手を出した。ちゃんと教室にも通ってみた。もっと真面目に取り組めば今頃はちょっとした腕前になったはずだが、結果は簡単なストロークが出来る程度で止まっている。
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2014/08/never-too-late.html
もっとも私が目指したギターのレベルはそこだったので一応目標は達成したことになる。でも腕っこきのバンドメンバー達を見ると私のギターはライブ本番では“ボリュームゼロ”で弾くのが礼儀だ。やはり目標は高く設定しないとダメだ。その点はさすがに来世で頑張ろうと思う。
とかく素人バンドはマスターベーション的な退屈なライブをやりがちだが、わがバンドはお客様ありきで楽しい時間を作ることを第一の課題にしている。しっかり小ネタも作り込むし全体の進行や構成も結構練りまくる。MC台本もちゃんと仕上げて本番に臨む。
その点については楽器に無縁で聴く側専門だった私の腕の見せ所である。口幅ったいが演出家的な目線で演目構成や進行をシビアに考える。狙い通りに盛り上がって、仕方なく義理で来てくれたお客様にも喜んでもらえば結構な達成感が味わえる。
そんな達成感には一種の麻薬のような中毒性があるので毎年続けていられるのだと思う。
それにしてもこの歳になって音楽活動という趣味を持てたことはラッキーだと思う。何となく続けているうちに老後の趣味?に繋がりそうだから、やはり日頃から何事にも好奇心を持って接することは大事だと痛感する。
今年のライブでは私がリードボーカルを務めるのは全部の半分程度になる予定だ。以前は大半の演目を歌っていたから随分と謙虚?になった感じだが、それも演出家!としての構成上の判断である。
そんなエラそうなことを書いてしまうこと自体が「音楽をやっている人」みたいで何だか嬉しい。
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