尻を追いかける。いうまでもなく好色男に使われる言葉である。「いい歳していつまで女のケツを追っかけてるんだ!?」。私が1年に365回ぐらいは言われる言葉でもある。
「尻を追いかける」を辞書で紐解くと「色を好み、女性にやたら好意を振りまくさま、ちょっかいを出してばかりいるさま」だという。ふむふむ。ちょっかいを出すぐらいの私にもピッタリ?である。
「オッパイを追いかける」とは言わないところが実に正しい。世の中にはオッパイ星人と呼ばれるオッパイ愛好家がたくさんいるが、私は女性の魅力はあくまで尻だと考える。すなわち尻派だ。「いい歳して…」と避難されようがいつまでも尻を追いかけ続ける男でいたいものである。
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さて、「いい歳して…」問題である。はたして何歳までが“尻追い人”として非難されずに済むのだろう。一般的には中年と呼ばれるあたりで根拠の曖昧な「分別」という壁に突き当たる。多くの人がそこで引退してしまう。
しかし、そんな線引きは実に馬鹿げている。現に老人ホームでは80歳を過ぎたような老人たちが恋のサヤ当てを演じて傷害事件まで起きたりする。
「バカだねえ。みっともない」と大半の人はそんな事件を鼻で笑うが、私はある意味うらやましく感じる。自分がその年になってそこまでの情熱を持っていられたら幸せだろう。
かの大岡越前のエピソードで知られるように女性の性欲は俗に「灰になるまで」とも言われる。男性だって「灰になるまで精神」は必要だと思う。たとえ機能に問題があっても異性を求める気持ち自体は失くす必要はないだろう。
ジャニーさんみたいにタチが悪いのは別だが、たかだか中年ぐらいの年齢でそっち方面から引退しちゃったような顔をするのは考えものだ。
とかく常識なんてものは安定秩序を求める一種の同調圧力が生んだ根拠曖昧な得体の知れない空気みたいなものである。そんなものに闇雲に縛られていては人生は味気ないものになる。
サッカーの三浦カズだって50代半ばを過ぎて今だに現役だ。非常識の極みである。でも彼にとって年齢は単なる数字に過ぎないのだろう。現役選手で居続けることは彼にとっては常識であり自然な姿なのだと思う。
私もいまだに“尻追い人”を実践している。正直に言えば時には面倒に感じる。まっすぐ帰宅してビール片手に豚丼特盛を食べながらバラエティー番組を観ているほうがラクチンなのは事実である。
でもそんな時間ばかりではオスとして錆びつくだけだ。時には自分に鞭打ってシュっとした顔を作ってオネエサンの尻を目指す。「あわよくば…」というヘタれた考えではなく、あくまで「何としてでも」ムホムホな展開になるよう知恵も絞るしカネも出す。
これって結構なエネルギーが必要だ。時に疲れてバテバテになる。バカと言われればその通りだがバカで結構だ。この歳になるとバカなことに熱中するのは案外大事なことだ。
先日、若いオネエサンと鰻屋さんに行った。細めのオネエサンだからスペシャルな鰻重は食べ切れないと睨んで、私の方はショボい鰻重にしてみた。オネエサンから回ってくるはずの厚みのある鰻を食べれば充分だと判断したわけだ。
ところが、いつまで経ってもオネエサンから鰻が回ってこない。ちんまりと痩せた鰻を食べながら待っていたのだが、気付けば厚みのある極上鰻は全部オネエサンに食われてしまった。
満塁で押し出しフォアボールを与えてしまったような、リレーでバトンを落としちゃったような、何とも言えない切ない敗北感を味わった。
この詰めの甘さは“尻追い人”として生きていく私の弱点である。仕方ないからそのオネエサンには違った意味でしつこくお仕置きをしてしまった。ガハハハ、何ともベタなオヤジの戯れ言である。
まあ、こんな平和な日常を過ごしているのは幸せなことだ。人生後半戦、まだまだ現役で頑張ろうと思う。
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