2024年1月10日水曜日

オジサン


まだ正月気分が抜けきっていない。我ながらダメダメである。この感覚自体が加齢の証かもしれない。若い時のようにエネルギッシュに行動していないから全てがノロノロになって来たように感じる。

 

というわけで今更だが年末年始の雑感を書いてみる。

 

わりと保守的な家で育ったせいか、年末年始の決まり事にはまあまあ詳しいほうかもしれない。とはいえ、家庭人生活を卒業して一人暮らしになってからは、昔の反動のせいか、正月っぽいことがすべて苦手になった。

 

今では松飾りもしない、年賀状もとっくにやめた。おせちやお屠蘇、初詣なども全部パスするようになって10年以上が過ぎた。やめてしまえば気が楽だが、そんな無頼?な過ごし方がほんの少し引っかかってもいる。

 

というわけで、今年の正月はちょっとだけ正月っぽいことをこなしてみた。たまたま実家の母を大晦日から2泊で預かったのでそれなりに正月的もてなしを頑張ってみた。

 


 

大晦日の年越しそばもちゃんと用意して、つけだれも2種類準備した。紅白も断片的に観た。カウントダウン番組はテレ東が毎年やっているオーケストラが零時の時報に合わせて演奏を完成させるヤツを観た。

 

今回の指揮者がコバケンさんだったせいもある。その昔、馴染みの寿司屋でちょくちょく顔を合わせていた。いわば飲み友達?だった。80歳を過ぎても元気にタクトを振っていた姿に感動した。

 

元旦には母親用におせちも手配した。ふるさと納税で取り寄せた返礼品だ。味の方はまったく期待していなかったが全品なかなか良い味付けでビックリ。来年も同じものを取り寄せようと思う。

 


 

とはいえ、私がおせちに手を出したのは元旦の夜だ。元々おせち料理は大の苦手だ。「保存食だろ?」という思い込みが今も消えない。レトルト食品を喜々として食べるくせにおせちだとナゼか保存食という点が引っかかる。ズレた考えだと思う。

 

夜になってから酒のつまみとして食べてみたわけだが、朝の段階では眺めただけで私自身はウーバーで頼んだ朝マックを食べた。元旦最初に口にしたものはホットケーキとフィレオフィッシュである。おせちを食べる母の前でフィレオフィッシュを頬張る私。ヘンテコな光景だった。

 



初詣には日本橋七福神の一つへ出かけた。氏神様がどこの神社だか分からなかったのでウチから一番近い神社を選ぶ。小銭がなかったからお札を賽銭箱に投入。年末ジャンボが大外れだったからちょっと痛かった。

 

高齢の母は昨年の年末年始はちょっと危ない状態で入院していた。1年後の今は元気に過ごしているが、こうして正月っぽいことをする気になったのも“残りの回数”が頭をよぎるからだ。順番としてはどうしたって母親が先に逝くわけだし、正月ぐらいは一緒にそれっぽく過ごすことは大事だと痛感している。

 

同居している娘は海外旅行で不在だったので私の諸々のおもてなしは純粋に母親相手だ。結構な親孝行になったと思う。ウチにある触り心地抜群の毛布を気に入っていたので即アマゾンで注文したし、特製チキンライスも振る舞ったし、一緒に長時間テレビ鑑賞もしたし、大谷翔平の凄さを改めて解説もした。

 

菓子類やせんべい類も母親用に準備したし、旅行中の娘(孫)ともLINEのテレビ電話で話をさせたし、寝室の温度や湿度調整も完璧にコントロールしたし、トンチンカンな発言にもイライラせず、箱根駅伝の駒沢大の活躍は“欽ちゃん”効果だというテレビ番組の受け売りも披露した。

 

なかなか良い息子である!! 日頃、鬼畜みたいな所業も無くは無い私だ。こういうちゃんとした行動は私自身の浄化?のためにも大事なことだと感じた次第である。

 

13日からは一人の時間をノンビリ過ごした。録画していた大谷翔平関連の特番を真剣に見たり、箱根駅伝の復路は自宅からすぐ近くを通るからわざわざ見学に行ったりした。

 



若者の走りを間近で見るとそのスピードに感動した。私のダッシュより速い速度で長距離を走っている。あんな驚異的な心肺機能を人生で一度は持ってみたかったものだ。

 

一人になった途端にハチャメチャな食生活を楽しんだのはご愛嬌である。母親の目も娘の目も無いから何をどれだけかっ込もうとも妙な言い訳とかしないで済む。これって「おひとりさま時間」の醍醐味だろう。ついでに言えばこういうメシをカネに糸目をつけずに楽しむことは大人の特権である。

 



思えば若き日の私は常に空腹で常に牛丼が食べたかった。しかし、友人と学校帰りに立ち寄る喫茶店代やタバコ代、はたまた女子と行くレンタルルーム代といった出費がかさんで大変だったから牛丼の大盛りなど気軽に食べられなかった。

 

今では牛丼は特盛が標準だし、ついでに牛すき鍋御膳みたいな期間限定品も一緒に並べて頬張っている。まさに「オトナ買い」ならぬ「オトナ食い」である。今の私を学生時代の私が見たら殺意さえ感じると思う。

 

チャーシュー麺も然り。学生時代はチャーシューがこんなに入ったラーメンは贅沢だった。今はこれに餃子とビールも付けてしまう。オトナ食いである。これに加えて半チャーハンを頼める胃袋ではなくなったことは残念である。

 



こういうジャンク満腹祭りを楽しんでいると自分がオジサンという生き物で良かったと心底感じる。生まれ変わってもすぐにオジサンになりたい。なんならオジサンとしてこの世に生まれて来たいとさえ感じた正月休みだった。

 

 

謎の結論になってしまった。

 

 

 

 

 

 

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