2024年3月27日水曜日

卒業と不調


娘が大学を卒業した。中学や高校を卒業するよりも感慨深い。何だか一つの区切りを迎えた気がしてひとり勝手にシミジミしてしまった。

 

同居を始めてまもなく2年になる。娘いわく同居する前よりも私を父親として意識する気持ちが強くなったそうだ。変な表現だが、同居する前までは私のことを“親戚のオジサン”に近い感覚で捉えていたらしい。

 

離婚した後も頻繁に会うようにしていた。それを最優先事項に暮らしていたのだが、子供の感覚なんて一緒に住まなくなったら一気に変化してしまうものらしい。

 

当時は一生懸命になって「離婚してもパパはパパなんだぞ」と言いきかせて気張っていたのだが、ちっとも通用していなかったみたいだ。妙に切ない。

 

まあ、いまようやくその分の穴埋めが出来ているのなら四の五の言っても始まらない。今の状況を前向きに受け止めるしかない。

 

コロナのせいもあって娘の高校の卒業式や大学の入学式を見ていなかったから今回の卒業式には出かけていった。袴をまとっていっぱしになったつもりの娘を見ていたら、今更ながら自分の親の有難さを痛感する機会にもなった。

 



娘を育てて大学まで出させたことはそこそこ大変だった。大げさだが、ちょっとばかり「よくやったなオレ」という気分になった。と同時に、自分を振り返ってみたら私の親も頑張ったんだなと気付いた。

 

今頃気づくあたりが私のダメなところだが、自分にとっては当たり前に思っていたことも親の結構な労力によって支えられていたわけだと改めて思い知った。感謝感謝である。

 

さて、大学を卒業させれば「一丁上がり」になるのが普通だ。ウチの場合、娘はこれから3年も別の大学院に行くことになったから、ちっとも上がりではない。私もまだ学生の親として奮戦しないといけない。

 

それでも一応は大学卒業という段階に来たわけだから父親として少しは肩の荷が下りた気持ちになった。不思議なものでその安堵感のせいで一気にアチコチ不調になって難儀している。

 

もちろん、たまたまだろうが何となく気が抜けたせいか、歯茎は腫れ出し、眼は炎症を起こしてボロボロである。ついでに言えばチャリで転倒して痛めた膝周りも相変わらず良くならない。

 

やはり人間は何らかの節目で気を抜くと体調に影響するのだろうか。たかだか娘の大学卒業という現実に対して人一倍感慨にふけり過ぎたせいでフニャフニャになってしまったみたいだ。情けないったらありゃしない。

 

歯茎の腫れは前の週に歯医者さんで定期クリーニングと定期チェックをしたばかりだったのに急に痛みだした。眼の方もこれまた何の前触れもなく娘の卒業式当日あたりから怪しい感じになった。お医者さんに行ったらタチの悪い結膜炎だとか。

 

ナンチャラウイルスが原因の炎症らしく2週間は治らないという。点眼薬いろいろ使うのだが、要は自分の免疫力で退治するしかないとか。ビタミンCやプロポリスを100個ぐらい飲んだら早く治るかとドクターに尋ねたのだが「まったく関係ない」と言われてヘコむ。

 



思えばモノモライにだってなった記憶がない。結膜炎だなんてケツをマクられたみたいな名前の敵に襲われるのは初めてである。その昔は汚い海でも潜水行脚に明け暮れ、菌がウヨウヨしている海でも平気で眼をゴシゴシして過ごしていたが何ともなかった。

 

それなのに普通の暮らしの中でそんな菌にヤラれるとは実に腹立たしい。それだけ歳を取ったということか。こうやって徐々に老人への準備というか心構えを強制的に身に付けさせられているのだろうか。

 

膝の不調、歯の不調、眼の不調。まるで爺さんの世界である。昨年は膵臓がんのリスクが高いとやらでしつこく検査もした。着実に自分が昔とは別の生き物になってきたことを痛感する。

 

「寄る年波には勝てず」。若い頃から聞いていた言葉がいよいよ我が身にも関係してくるとはビックリである。

 

子どもの成長を喜んで感慨に浸った話を書くつもりが年寄りの愚痴みたいになってしまった。いかんいかん、もっともっとポジティブにしていよう。

 

眼だって奇病にかかって失明の危機とかではなかったことを喜び、歯の件だって虫歯は無いと言われたことのほうを喜び、膝だって事故で歩けなくなったわけではないと前向きに捉えたほうが気分はアガる。

 

何事も前向きに捉えることにしょう。

 

 

 

 

 

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