酒との付き合いは中学生の頃からだ。祖父のイタズラでコーラにウイスキーを入れられて酩酊したのが14歳ぐらいだったか。それから40ウン年が過ぎた。酒にまつわる思い出は数え切れないほどある。
「酒を飲めない人は人生を半分ぐらい損している」みたいな話を聞くことがある。半分はともかく、あながち大げさではないかも知れない。そのぐらい酒の存在は日常に彩りを加えてくれる。
とか言いながら私の場合、若い頃はゲロゲロゲーばかりだった。吐くために飲んでいるのかと思えるほどだった。ある意味エネルギッシュだった時代だ。
年齢を重ねるうちにゲロッピーな日々も終わりを告げた。無茶な飲み方とも無縁になり普通になった。当然ながら何年も前から吐かなくなったがそれはそれでチョッピリ淋しい気もする。
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コロナ禍をきっかけに酒量はだいぶ減った。付き合い酒が激減した影響だ。なんなら「たしなむ」程度になった。酔うのは好きだが、酔った後の疲労感が昔より格段に重い。それを思うと少量で切り上げる。先日も鰻屋さんで冷酒を2合飲んだだけで帰宅後に身体が重くてうたたねから復活できない有り様だった。
先日、久しぶりに銀座で飲んだ。馴染みのオネエサンに強制連行されて和食屋さんであれこれ食べながらゆるりと過ごす。
ウナギも好きだが、うなじも好きな私としては浴衣姿の綺麗どころと飲む酒はなかなかである。どうでもいい話で盛り上がりながらビールにハイボール、焼酎などをダラダラと味わった。
男同士の酒も楽しいが、“withおんな酒”はまた別の良さがある。いくつになってもその点は現役である。一応、相手は饗応を専門職として生きている女性だからこちらが不快になるような会話は無い。ここが肝心である。だから平和な時間だった。
最近は「饗応オネエサン」の新規開拓もすっかりサボり気味だ。これもまた加齢の典型的症状かもしれない。なじみのオネエサンと昔話をしているほうが新顔さんの意味不明な話を聞かされるよりラクチンである。
ラクチンなほうを選んでしまうのはどんな分野においても進化を妨げる。その意味ではもっと開拓精神も必要だが、最近は夜になると眠さが勝ってしまい面倒なことはつい避けてしまう。アフターまで付き合ってワイワイ騒いでいた頃とは別人になってしまった。ちょっと反省。
話は変わる。
同居を始めて2年になる娘と飲む時間も私にとって大事な時間だ。子供が生まれると「将来は一緒に酒を飲んだりするのかなあ」などと親なら誰もが想像する。でもその時点では片手で持てるぐらいの小さい存在だから現実感はまるでない。
過ぎてしまえば20年はアッという間で、気づけばごくごく普通に一緒に酒を飲むようになっている。我が家の場合、娘が一人で寝酒を楽しんでいるのに私はお茶を片手にくるみゆべしを食べているような逆転現象も頻発している。
しょっちゅう二人で外食するのでその際は何となく晩酌タイムを共にしていることになる。これって冷静に考えたら幸せな時間だろう。嫁に行ってしまえばそんな場面はなくなるわけで、何気なく過ごしている当たり前の時間が実はものすごく尊い時間なんだろう。
先日も近所にふらっと出かけて新規開店した蕎麦屋に父娘で入ってみた。蕎麦の前に刺し身や鹿のステーキ、蕎麦豆腐、親子煮などをツマミに軽く飲んだ。会話の内容はどうってことのないものばかりだが、差し向かいでダラダラ話すことが単純に有意義な時間だと思う。
娘は家でもやたらとアーダコーダと喋っている。とにかく私は聞き役だ。その日の出来事や世相、芸能ネタ、色恋ネタ、はたまた法律問題などノンジャンル無制限のオシャベリ大会である。
蕎麦屋にいる時も娘が機関銃のように喋りまくっていたから、夏バテ気味の私は「もっと無駄話を聞いてくれる友達を増やしたらどうだ?」と言ってみたほどだ。でもそれは間違いだろう。よく考えたら大人になった娘が何でもかんでもギャンギャン話してくることは父親として喜ばしいことである。
父親を毛嫌いして会話もしない、洗濯物も一緒に洗わせない、部屋にも入れないといったトンチンカンな若い女子はこの世にゴマンといる。そんな悲惨な環境に暮らす人に比べたら私などは幸せ者だと思わないといけないのだろう。
全地球上には80億人ぐらいの人間がいるらしい。そんな中で一緒に酒が飲めて本音で語り合える相手がいることは決して当たり前のことではない。というわけで、娘のどうでもいい話をこれからもどしどし聞いてみることにしょう。
今流行りの浴衣帯を締めていらっしゃいますね。でも私は昔の締め方のほうが好き(笑)梅雨明けました、夏です。
返信削除ありがとうございます!帯に無知なものでご指摘とても勉強になります!
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