2024年8月2日金曜日

歩く楽しみ


若者を中心にサウナ人気が高まっている。今の季節にサウナなどと聞くとそれだけで不快になる。炎天下に外を歩けばサウナ並みの気候だからわざわざサウナに行く気は起きない。

 

そんな私も30代、40代の頃はわりとマメにサウナに通っていた。通うだけでなく当時の住まいの自室にはマイサウナを設置していて楽しんでいた。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/04/blog-post_14.html

 

サウナが気持ち良いのは確かだが、野球の長嶋さんが脳こうそくで倒れた一因はサウナの入り過ぎではないかという説を聞いてから何となく敬遠するようになった。

 

汗をかくこと自体は気持ち良いし身体の代謝を考える上でも効果的だ。今はサウナこそ避けているものの、大汗かいた後に水風呂に近い温度の風呂に入るのが私にとって夏の楽しみである。

 

週末の散歩も夏になるとナゼか意欲が高まる。M的な気質のせいかもしれないが、炎天下でゼーゼー言いながら汗ダラダラで歩くのが結構好きだ。時折セミの鳴き声が賑やかな木陰で休みながらあてもなく歩く。

 

イヤホンからいにしえの名曲・TUBEの「夏だね」が流れてくる。哀愁漂うサックスの音色と蝉時雨が混ざり合って、単に暑いだけではなく実に風流な気分になる。

 

帰宅後の水風呂のためにわざわざ身体を酷使するわけだが、Tシャツ、短パンにサンダルみたいな靴だから日頃のスーツ姿に比べれば汗だくになってもヘッチャラだ。滝のように流れる汗をハマショー師匠のライブ会場で買ったタオルで拭き拭きちょっとフラつきながら歩いている。

 

そんな真夏の散歩も今年は例年よりキツく感じる。加齢だけが理由ではない。暑さの質が根本的に変わったのだろう。あと5年もすればこんな楽しみ方など自殺行為といわれるような気がする。

 

思えば我々世代が中学高校の頃には学校にエアコンなど無かった。いま考えれば凄いことみたいに感じるが、それだけ暑さの質が違った証だ。倒れるヤツもいなかったし、部活だって当時は水飲み禁止が普通だったが救急車で運ばれるヤツも皆無だった。

 

夏がもっと優しかったんだなあ、などと過ぎ去りし日々を懐かしく感じる。今みたいな殺人的猛暑だと夏ならではの情緒を味わう場面も期待できないのが残念だ。

 

風鈴の音色はゲリラ豪雨直前の怪しげな強風の合図みたいになってしまったし、夏草の香りを醸し出してくれた夕立ちは今やゲリラ攻撃的な勇ましさだ。

 

エアコン全開の部屋は閉じきっているから蚊取り線香の出番も無いし、打ち水だってそれこそ焼け石に水状態で誰もやらない。夕方以降も暑くて窓を閉めているからヒグラシの可憐な鳴き声も聴こえてこない。

 

ちょっと切ない。

 

さてさて、散歩の話だった。水分補給に必要以上に神経を使いながら私のM的趣味?である汗ダラ散歩は隅田川界隈を目指すことが多い。水辺が目に入るだけでちょっと涼しいように錯覚出来る。

 


 

時折、歴史関連の由緒書きを見つけて足を止めるのも楽しい。自分がいる場所が大石内蔵助たちが歩いた場所なのかと知ると妙に気分がアガる。中央区に引っ越してからこういう類の掲示を見かける頻度が増えた。これも散歩の楽しみの一つだ。

 

私が生まれ育った杉並区は江戸時代にはただの郊外の村だから歴史的な由緒書きを見かけることはめったにない。その後に住んだ豊島区然り。江戸の頃には池袋村は怪異な場所と思われていたから由緒もヘチマもあったものではない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E8%A2%8B%E3%81%AE%E5%A5%B3

 

その後、文京区に住んだ頃から歴史的由緒書きを見かけるようになった。とはいえ、その当時の文京区界隈はそれこそ江戸の端っこだ。都心中心部に比べればややダイナミックさ?に欠ける。

 

当然のことだが、中央区や千代田区、台東区あたりは歴史的な由緒書きがやたらと多い。両国あたりに行けば普通に「吉良邸跡地」があったりするからプチ歴史好きな私は散歩のたびにちょっと興奮する。

 

新富町、八丁堀近くに住んでいた時にはわざわざ記念碑みたいな場所を目指して散歩した。ここにシーボルトがいたのか、堀部安兵衛がここに住んでいたのか、浅野内匠頭はここで暮らしていたのか等々、勝手に昔を想像して楽しんでいた。

 

最近は日本橋、人形町、神田界隈を歩くことが多いが、先日神田錦町方面まで足を伸ばした際にちょっと変わった記念碑に遭遇した。

 


 

「日本野球発祥の地」である。何だかよくわからないが興奮した。ここは東大の前身の学校があった場所でアメリカ人教師が生徒に野球を教えたそうだ。除幕式には巨人V9監督・川上哲治も招かれたらしい。

 

王貞治もイチローも大谷翔平も皆さんここで野球が生まれなければただの人だったわけだ。そう考えると感慨深い。ただの記念碑といえばそれまでだがそこを起点にいろんな想像を広げるのは結構楽しい。

 

いつも老後の趣味を探している私だが、日本全国記念碑巡りも候補の一つにしてみようと思った。

 

 

 

 

 

 

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