2025年3月3日月曜日

人のせいにする


一人メシが好きだ。誰に気兼ねすることなくノンビリできる。一人メシが苦手な人も案外多いようだが、私には逆に理解できない。私が変人だからかウマいものはこっそり?一人で食べたほうが気楽である。

 

ただ、一人メシにも問題点はある。一人だと注文しにくいものや量的に厳しいものなど、同行者がいたほうが堪能できるメニューもある。

 

相変わらずウナギが好きな私だが、鰻屋さんに一人で行く場合に注文しづらいのがう巻きだ。ウナギの切り身をいれた卵焼きである。たいていの店では下の画像のようなサイズだからこれを食べちゃうと他のものが食べられなくなる。

 



老舗の専門店でこそ堪能できるのがう巻きだろう。職人さんの腕の見せ所だし、実際に名のある店を訪れたならう巻きを注文しないのはもったいない話だと思う。

 

鰻料理の王道といえば鰻重だが、白焼き、肝焼き、うざく、う巻きは脇役陣として欠かせない顔ぶれである。これらすべてを味わってこそ完璧なフルコースになるが、う巻きだけはボリューム的に諦めてしまうことが多い。

 





だから誰かを連れて鰻屋さんに行く場合、私の頭の中では「う巻きだ、う巻きだワッショイ!」って感じになる。ひとしきり白焼きやうざくに関するウンチクを語る一方で、実はう巻きにワクワクしていることが多い。

 

私の好みは甘い卵焼きである。だし巻きも美味しいが、関東風のふわふわウナギを出す店だったら、当然にう巻きの卵焼きも甘さがほしい。ところが、近年の西からの食文化攻勢?のせいで関東風ウナギの老舗みたいな構えの店なのにう巻きが甘くないケースが増えたように思う。

 



だし巻きも悪くないのだが、店によっては薄ぼんやりした味付けで拍子抜けする。そんなものを口にするなら思いっきり甘い卵焼きでニンマリしたい。

 

切り身のウナギのタレが甘めだから卵焼きはあえて甘くしない気持ちも理解できる。でも、でもである。年々偏屈傾向が強まっている私としては「卵焼きイコール砂糖」という考えに固執したいから時折残念な気持ちになる。

 

話がそれた。一人メシでは楽しめない同行者アリの場合の食べ物の話だった。

 

そこそこ寿司の世界に詳しいつもりの私にとって回転寿司はビミョーな立ち位置だ。勇んで行くのは格好悪いという古い人間ならではの思い込みが強い。

 

行くとしてもあくまで「つき合いで来ました!」みたいな顔をしたくなる。実際に同居する娘と連れ立って行くか、息子が遊びに来た時に行くパターンが大半だ。自意識過剰である。

 

回転寿司の楽しみは、回っていないお寿司屋さんでは味わえない珠玉の!?品々を味わえることである。コーンマヨしかり、ツナサラダしかり、サーモンしかりである。

 




グルメ評論の世界で決して語られることのないコーンマヨやツナサラダだが率直に言ってウマい。どう逆立ちしたってウマい。B級だのジャンクだのと言われようとも単純明快にウマいし、実はみんなが大好きなことをナゼか隠している食べ物である。

 

サーモンも実に可哀想なネタだと思う。普通のお寿司屋さんでは「そんなもの寿司ネタじゃねえやい」と仲間外れにされているが、そんな常識もいつかはひっくり返る可能性は高い。

 

今はまだ邪道かもしれないが、たいていのものが最初は邪道である。ウニやトロだって今でこそ寿司業界の大エースだが、その昔は寿司とは無縁の存在だった。そう考えるとサーモンだってあと1020年もしたら老舗高級店でも普通に置かれるようになると思う。

 

この画像は人形町の「みさき」という回転寿司のものだ。「京樽」が母体のお店らしい。下手な街場のお寿司屋さんよりもシャリが美味しい。「しょせん回転寿司なんて…」という私の思い込みを良い意味で裏切った店だ。

 

もちろん、そんなネガティブな思い込みが復活してしまうヘンテコな品々もある。下の画像はエビとチーズがミックスされた意味不明な一皿だった。注文するほうが悪いのだが、回転寿司ならではの邪道系?をある意味とても愛している私としては味見しないわけにはいかない。

 



やはり、邪道系はコーンマヨ、ツナぐらいにとどめておいたほうが無難だと感じる味だった。でもチーズが好きな子どもならバクバク食べるかもしれない。

 

ちなみに、この店にはトロタクならぬ「ツナタク」がある。文字通りツナサラダとタクアンの巻物だ。これが結構ウマい。クセになる味だ。これなら家でも作れそうでオススメ。

 

こんな話を書いているだけでまた食べたくなってしまった。また子ども達を連れて「つき合いで来ました!」という顔を作って出かけたいと思う。

 

 

 

 

 

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