東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2008年6月9日月曜日
極上の泡盛
先日、泡盛の極上品をいただいた。焼酎ブームで芋ばかりもてはやされている風潮があるが、蒸留酒という意味では同類の泡盛も根強いファンが多い。
私自身、学生時代から潜水旅行で頻繁に沖縄を旅していたから、泡盛歴は結構古い。25年ほど前、学生だった私にとって泡盛はおっかなびっくり呑む酒だった記憶がある。
既にその当時から、万人受けするようなまろやか路線の商品が出始めていたようだが、まだまだ、キツくて臭いというイメージは強かった。
久米島に行ったときのこと。昼間一緒に潜ることになった若者達は民宿の広間に集って酒盛りをする。学生の私も勇んで参加。オリオンビールをぐいぐい呑み続け、しまいには宿に置いてあるビールが底をついた。
「もう泡盛しかないさ~」。おばあが出してきた一升瓶は、当然のように久米仙。こっちはどうやって呑んでいいのか分からず、とりあえず茶碗酒ならぬ茶碗泡盛で、ストレートで呑んでいた。まずい。
おばあが言う。「水割りにしなさい。地元の人だって今どきは水割りで呑んでるさ~」。これで救われた。日本酒と同じような一升瓶を見ただけで、そのまま呑まねばならないという私の思い込みは誤りだったようで、薄い水割りにしてチビチビ飲みはじめた。
他に呑むものがないから渋々呑んだのが正直なところだが、ある意味これが正解だった。人間の味覚なんて馴れによって変化する。その晩のうちに徐々に泡盛が美味しく感じるようになった。
徐々にというか突然といった方が正しい。夜も更けてすっかり酩酊状態になり、何杯目かの水割りは、いつの間にかやたらと濃いめ。ふと口に含んだとき、なんだか妙にうまいと思った。それ以来、すっかり泡盛ファンになった。
いまでこそ東京でもアチコチに沖縄料理屋があるが、20年以上前は、完全に沖縄出身者が集うための閉鎖的な感じの店が大半だった。美味しく感じた泡盛も、しょっちゅう出かけた沖縄旅行の際に呑むものでしかなかった。
そうこうしているうちに焼酎ブームやら沖縄ブームの到来で今や泡盛もすっかり定番酒としてどこでも呑めるようになった。
今回いただいた泡盛は、極上の古酒が2本。思い出の久米仙が造っている最上級品の「球美18年」と「海の邦1993年」。貯蔵年数3年を超えれば「古酒(くーすー)」を名乗れるのが泡盛のルールだが、いただいた2本はそれぞれ18年、15年貯蔵というスペシャル。
まず「球美18年」をロックで味わってみた。18年という歳月はやはりウットリする酒を造る。人間だったら18歳はとんがって仕方ない年頃だが、酒の場合、角が取れてまろやかになるには必要充分な年月だ。
ツンとした刺激的な味はなく、43度のアルコール度数にしては印象は穏やか。ロックのあとで、少し濃いめの水割りを試したが、ここでも感心。味がぼやけない。ロックで呑んだときと同様の複雑で広がりのある味わいが水に負けずに残っている。さすが。
15年ものの「海の邦」はまだ味わっていないが、封を切るのが楽しみだ。やはり焼酎を含めた蒸留酒のなかでも、長期熟成という点では泡盛の独壇場だろう。
なんといっても歴史と文化が違う。琉球王朝時代には、300年モノの古酒もあったそうだ。ウン十年、100年モノあたりの古酒もそこそこ存在していたそうだが、沖縄戦でなくなってしまった。
芋焼酎がブームで、長期熟成モノもチラホラ見かけるが、この点においては泡盛は別次元の存在といえよう。
今回いただいた2本の古酒。販売業者の手違いだろうか、はたまた贈り主さんの意図的な戦略!?か分からないが、商品金額がしっかり記載された納品書が同梱されていた。
見てびっくり。こんなに高価な泡盛があったとは!。泡盛ファンを自認する私も知らなかった。普通の泡盛の5~6倍はする価格だ。プレミア価格ではなく、定価の段階でビックリ価格だ。
でも、2本ともビン自体はこれみよがしの豪華絢爛さはなく、実にあっさりとした佇まい。大げさにネーミングしていないことも併せて、どこかさりげない点がなんか素敵だ。
「10年、20年程度の熟成で騒いでられないさ~」。古酒文化を背負っている琉球杜氏の矜持が垣間見えるようだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿