旧友が集まった時の話題は、年代によって劇的に変わる。若いうちは、どれだけ進歩的な遊びをしたか、もう少し時代が過ぎれば自分が手がける仕事の話や異性関係、その後は結婚とか離婚、子育てとか年相応に変化する。
40歳も過ぎれば、リストラ話や親の葬式話などのシメっぽい話題も出てくる。それとともに「不健康ネタ」が、がぜん中心的なテーマになってくる。
二十代の頃は、バリウムを飲んだだけで、ちょっと自慢?できた。その後、徐々にテーマは拡大。血圧や尿酸値、コレステロールといった成人病的な言葉が身近になるにつれ、“プチ自慢”もランクアップする。
「この間、胃カメラ飲まされちゃってさあ」とか自慢げに語っていられるのは三十代まで。中年の域に入ると、CTとかMRIあたりをこなす連中も増えてくる。中途半端なネタふりは、かえって相手のプチ自慢を誘発する。
「最近、不整脈がやっかいでさあ」とふってみたら、「オレなんかニトロが欠かせないんだよ」と返されるようなパターンだ。
「目がかすむようになって不便だよ」と言おうものなら「オレみたいにレーシックやればいい」と切り返されるパターンもある。
確かに目玉をむき出しにしてメスを入れるわけだから、“プチ自慢”としては高得点だ。
なかには、「痛風の一歩手前で節制中なんだ」と尿酸値系の話をしているのに、「オレさあ、来月、脳の手術しなきゃならないんだよ」とか、話の整合性なんかお構いなしに、いかに自分の不健康が“先進的”であるかを語ってくる輩もいる。
まあ、そんな段階はまだ可愛いわけで、老人レベルになるともっと凄いらしい。「胃の大半を取っちゃったんだ」とか検査どころではない話で盛り上がる。おまけに数日前に一緒に飲んだ友人が死んじゃったとか、洒落にならない事態も平気で起こるらしい。
そう考えると、大して深刻でもない中年の不健康自慢は、ませた子供が背伸びしてアレコレ語っているようなものだろう。
私の場合、1年に1~2回、内視鏡検査を心掛けている。胃と大腸をセットで診てもらうのだが、胃カメラよりも、お尻にカメラを突っ込まれる大腸内視鏡の方が、友人連中に“自慢”できる。
胃カメラ経験者は多くても、お尻カメラは未体験者が多いため、その経験談は私の格好のネタかもしれない。
とはいえ、経験談といっても、実はほとんど記憶がないのが実態だ。私がお世話になっている京橋のクリニックは、検査前に腕からの採血と同時に変な薬物(強い鎮静剤?)を注射する。薬のせいで、ほぼ気絶している状態ですべての検査が終了する。
だから全然苦しくないし、痛くもかゆくも恥ずかしくもない。おまけに、注射された変な薬物が効いてくるときのフワーっと気が遠くなる感覚はクセになる。
意識して抵抗を試みても、少しずつ、落ちていく、というか飛んでいくような感覚。どう頑張っても抵抗虚しく気を失う。
検査終了後、小一時間経ってから起こされるのだが、そのあとも数時間はフワフワしている。
かつて、いい気持ちで気絶中に、検査中の医師から大声で呼ばれ続けて起こされたことがある。「結構大きめなポリープがあるけど、いまついでに切っちゃう?」と聞いてくる。
こっちは意識もうろう状態なので、フンガフンガと声を出したが、まともに返事ができなかった。
検査中に内視鏡に付いているメスでポリープをカットできるのだが、カットする大きさによっては、その日以降しばらく断酒を強要させられ、旅行も控えなければならない。
だから医師は確認してくれたのだが、結局、私のフンガフンガは解読してもらえず、別な日に改めてポリープ切除を仕切り直すことになった。
あの気絶注射がまた味わえると喜んだのだが、検査日の早朝に大量に下剤を飲まなければならないことを忘れていた。検査よりもそっちの方がキツいので、やはり1回で検査も処置もやってしまった方がいいだろう。
余談をひとつ(このブログ全部が余談みたいなものだが・・・)。このクリニックで検査される際は、紙のトランクスをはかされる。
特徴は後部、すなわちお尻の部分が大きく開いていること。お尻にカメラを挿入!するわけだから当然だが、これが何とも変な気分。
まだ気絶注射をうたれる前の段階で、若い看護婦さんに「こちら側を背にして横向きに寝てください」と指示されると、やはり恥ずかしい。うら若き白衣の天使を前にイジイジする。
「恥ずかしいからこそ快感・・・」。ついつい変な結論に達する。
話がおかしい方向に行きそうなので、この辺にしておく。
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