WBCの日本・キューバ戦を試合開始から見た。前の晩、9時に寝て早朝5時の試合開始に備えた。というのはウソで、日曜の晩、家で飲みすぎて早々に寝てしまい、結果的に早起きしてテレビ観戦できた。
野球少年の頃、日本の野球は「ベースボール」にはかなわないものだと思い込んでいた。近年の日本野球の強さは単純に嬉しい。
小学生の頃、アメリカ・メジャーリーグに関するニュースを見て、そのスケールに驚いたことを思い出す。まだ「メジャーリーグ」などという表現も普及していなかった頃だ。
「大リーグ」こそ的確な名称だった。
テレビに映ったアメリカの球場、フェンスに表示された数字にビビッた。日本の球場でもホームベースから外野フェンスまでの距離が表示されているが、幼い私のイメージでは、その数字はあくまで「90」とか「120」が常識。両翼90メートル、センターまで120メートルという日本サイズが一般的だった。
私がニュース映像で見たのは、「325」と書かれたフェンスの前で躍動している選手の姿。選手の動きなんかより、その異様に大きい数字にあ然とした。
大リーグの球場は日本より大きいという野球少年としての基礎知識はあった。それにしても、フェンスまで325メートルもあるのなら、王選手のホームランなんて鼻くそみたいな飛距離だと思った。
もちろん、その後、あのナゾの数字「325」はメートルではなく、フィートを表示していることに気付くわけだが、結構長い間、大リーガーのパワーはケタ違いだと信じていた。
野球少年時代の私にとって、大興奮だったのが、数年に一度、大リーガーが観光気分でやってくる日米野球だ。
1974年、ニューヨーク・メッツが来日した際、なぜかブレーブス所属のハンク・アーロンが同行。王選手とのホームラン競争のためだけにやってきた。
ホームラン競争といっても、いわゆるお遊びで、バッティングピッチャーが投げるゆるいボールを打つだけ。それでも野球少年は目を皿のようにしてみた。
ホームラン競争の結果よりハンク・アーロンと王選手の体付きの違いに野球とベースボールの遙かな距離を感じたことを思い出す。
それから4年後、シンシナティ・レッズが来日。当時、「ビッグレッドマシーン」と呼ばれた最強軍団がほぼフルメンバーでやってきた。物見遊山でやってきているはずなのに、親善試合なのに単純に強い。実に14勝2敗とまったく日本チームを寄せ付けなかった。
大リーグ史上最高のキャッチャー・ジョニーベンチ、安打製造機・ピート・ローズ、大エース・トム・シーバーらが本場の実力を見せつけてくれた。
そうしたビッグネーム以上に子どもの私が興奮したのが、4番バッター・ジョージ・フォスターの威風堂々とした姿。黒人パワーヒッターにありがちな巨漢という感じではなく、シャープなスタイルで黒バットを物静かに構える。巨人のエース・堀内からいとも簡単に弾丸ホームランを放った。しびれた。
そのほか、シーザー・ジェロニモという物凄い名前の外野手のことを妙に覚えている。プレーのことは記憶にないが、名前が“シーザー・ジェロニモ”だ。私がピッチャーだったらそんな恐い名前のバッターには投げたくない。
とにかく、30年前のことだ。レベルの違いは誰が見ても明らかだった。そんな日本野球が優秀な選手を大リーグに送り込み、ガチンコの国際試合でトップ争いをしていることは夢のようだ。
我々の世代以上の人からすると、野球の場合、国際試合イコール親善試合だったので、WBCはオールスターメンバーが真剣勝負をしているだけで興奮する。逆にだからこそ、2大会続けての優勝が現実的に簡単でないことも良く分かる。
WBC・2次ラウンドに進んだチームに基本的に弱いところなど無い。トーナメントに近い形で優劣を決めるわけだから、まるで予想はつかない。
勝てば喜び、負ければ残念。誰かを責めても仕方ないし、あういう試合で正直、采配なんか関係ないと思う(北京五輪の星野采配には疑問を感じたが・・・)。
流れを掴んだチームだけが優勝する。それだけだと思う。日本チームに流れが来るように願うだけだ。
前略
返信削除時々ブログ拝見してます。
あまりに懐かしいので投稿してしまいました。レッズすごかったですね。当時、来日特集号の雑誌を見て、大リーグの球場の雰囲気や選手のユニフォームの格好よさなんかを穴があくほど眺めてたような気がします。私は特にベンチ捕手が好きでした。
話はそれますが、昨日、ひょんなことからグローバルで通用する日本のサービス業は「ヒトがカギになるだけになかなかない」という話題をお客さんと話しておりました。でもこのブログを拝見しておりましたら「あるじゃないですか。日本にも。夢を与えてくれるグローバルなサービス業。」見習わなきゃ、と思いました。金融業なんか全然、などと言うと身元もばれますが。
話がそれて失礼しました。
また、会いましょう。
草々
中学高校の同期より。
金融業・・・。ってことは何人か思い当たりますが、金融もいろいろですから、勝手な推測はやめておきます。
返信削除ジョニー・ベンチ。渋かったですね。昔憧れたアメリカの大人って印象でした。全盛期のノーラン・ライアンとかが真剣に日本人打者と勝負するような場面があったらしびれただろうなあ。