最近少しずつだが確実にリバウンドしている。やはり中年は基礎代謝がほとんどゼロだ。ドカ食いしなくても、普通に食べれば太る。なんてことだ。
ササミよりナンコツが低カロリーという貴重な情報を得てから、焼鳥屋ではナンコツを多めに食べるようにしている。
先日、銀座にあるその名も「串銀座」に行った。日本酒の品揃いが豊富なことで有名な店だ。焼鳥も高水準なのだが、高級指向でちょっとコジャレた路線なので、ナンコツがメニューにない。
カロリー調整で焼鳥屋を選んだのだが、ナンコツが無いことを言い訳にして、普通にバクバクとモモだのセセリだのボンジリなんかを頬ばった。
あぶったパンと一緒に出されるレバーペーストもパンごと残さず食べちゃったし、卵の黄身をぶりぶり使っている鶏ユッケも食べた。結局、カロリー過多だ。でも美味しかったから仕方ない。
ちなみに銀座界隈の焼鳥は場所柄もあってかなり高価だ。串銀座でも1本500円ぐらいが標準。1本700円超の串もあった。そのかわり質も高いのだが、さすがに少し悶々とする。
値段のことを気にしているようでは富豪ではない。でも不思議と寿司なら許せるのに焼鳥だと高い値段にひと言いいたくなる。
銀座界隈にも高くない焼鳥屋はあるが、値段に比例して味のレベルも決まる。さもなければやたらと窮屈でゆっくりできなかったりする。
結局、積極的に上等な焼鳥をノンビリと食べたい時は、高いお勘定を覚悟しないといけない。
もちろん、この方程式は銀座に限った話。豊島区某所の私の自宅近所にある「T」は銀座の3分の1の値段でとてもウマい焼鳥を食べさせる。それでも近隣の焼鳥屋の中では高い店と言われているらしい。
世間一般の焼鳥の値段に関するシビアさは思った以上に厳しい。商店街の肉屋の店頭では70円とかで売ってるわけだからそれがひとつの基準になるのだろう。
逆にいえば1本500円クラスの店でも繁盛しているなら、それはそれで凄いことだ。
寿司の場合、高級路線、大衆路線、回転寿司、出前専門など店の種類が厳然と分類されている。それに比べて焼鳥屋の場合、そのあたりのジャンル分けがまだまだ不充分なんだろう。
妙齢の女性がエスコートされたい店、焼鳥屋と寿司屋の二者択一だったら、寿司屋が選ばれる確率が高いだろう。
「ちょっといい寿司屋があるんだ」と囁かれた女性が連想するのは白ワインの品揃えが豊富な西麻布あたりのモノトーン調の店。
「ちょっといい焼鳥屋があるんだ」と聞かされても、女性の脳裏に浮かぶのは、ホッピーの品揃えが豊富な新橋の外れにある煙で黒くなった店だったりする。
実際には、最近の焼鳥屋には西麻布あたりの気取った寿司屋に負けないような洗練された店は多い。それでも、まだまだ「赤ちょうちんに煙モクモク」のイメージは根強い。
牛、豚、鶏。なんとなく日本人の「肉」に対するランク付けはこの順番の通り。このイメージも焼鳥屋を取り巻く世間の視線と無関係ではなさそうだ。
「ごちそう」というイメージでもこの順番だろう。
「ボクんち、夕べはステーキだったんだぜ」、「ウチは焼鳥だったんだ」。
たとえ死亡牛肉のクズ肉ステーキと最高級地鶏だったとしても、上の会話のイメージだとステーキのほうが威張った感じがする。
外食産業におけるそれぞれの専門店の“権威”のようなものも何故か同じ順番のような気がする。
肉類の中で鶏肉が一番好きな私としては、そんな風潮がちょっと気に入らない。そうは言っても、焼鳥がちょっと高かっただけでブログのネタにするようでは、鶏肉権威向上審議会委員として失格だ。
私の悪い癖はお寿司屋さんに対してやたらと寛大なことだ。ちょっと居心地が良いと高くても許しちゃう。それを思えば美味しい鶏肉を出す店にももっともっと寛大にならないといけない。
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