2010年3月1日月曜日

エセ文化人

中年男にとって恥ずかしいことは教養が足りないことだろう。40年以上も生きていると、知っていて当然、知らないと間抜けみたいな事柄が増える。若い頃、若さを理由にバカを貫けたことに比べると実に厄介だ。

かといって、知らないものは知らないし、今更興味のないことを吸収するのも面倒だ。だから自分が好きなジャンルについては、多少大げさにでも詳しいフリをしてしまう。

私が好きな葉巻を例にとろう。そこそこの知識しかないのに、時に精通者然とした顔で語ってしまうことがある。なんか情けない。一種の見栄張り状態なんだろう。もっと素直にならないといけない。

そのほかに好きなジャンルといえば器の世界だ。とくに徳利やぐい呑みといった酒器には目がない。一応知識もあるほうだろう。一時期は随分と専門書なんかも読みあさった。

私の場合、ただの酒器好きなのだが、陶磁器といえば美術品的要素や歴史もある関係から世間的には“文化的なもの”という印象がある。

文化的な要素を持つ器といえば、本来は茶器を指すのが普通だ。それでも同じ陶磁器というつながりのお陰で、ただの酒器好きオヤジである私も「文化的な陶磁器というジャンルに詳しい教養のある人」と他人に錯覚してもらえる。この点はラッキーだ。

単に酒をあおるのでは飽きたらず、器を取っ替え引っ替えしたいだけのアル中オヤジが「教養のある人」に昇格できるのだから悪くない。ウッシシだ。

先日も初めて入った割烹のカウンターで「マイぐい呑み」を片手に酩酊していた。板前さんとお女将さんからマイぐい呑みの質問攻めにあい、適当に格好良いことを喋っていたら随分とヨイショされた。

ほとんどの話が受け売りだが、多少でも器に興味のある人が聞いたら面白いのだろう。私自身も興味を持ち始めた頃はそうだった。器勉強中だという板前さんにすれば面白い話だったのだろう。帰る頃にはすっかりエセ文化人のできあがりだった。

私のビジネスバックは「マイぐい呑み」を入れるためだけにあるようなもの。巾着袋に仕舞い込んだぐい呑みが常時2つは入っている。

たまに入れ替えるが、備前と唐津を用意していることが多い。上の画像は唐津の現代作家の作品でお気に入りのひとつ。少し小ぶりなので熱燗に向いている。全体に丸い感じが柔和な雰囲気で掌で遊びたくなる。

基本的には備前焼の無骨な感じが一番好きな私なのだが、気分や精神状態によっては唐津の柔らかい感じに惹かれる。いつの間にか自宅や会社で使っている湯飲みも唐津ばかりだ。

唐津焼は同じ佐賀県の有田焼と異なり、釉薬を使いながらも土そのものの味わいが特徴的な素朴で艶っぽい焼物だ。

唐津の盃の魅力は、藁灰を主とした釉薬が焼成段階で微妙に変化する点だ。暖かみのある乳白色系の肌合いに、焼成過程で鉄分などが器の表面に溶け出し、青や黒のアクセントが加わる。

釉薬を薄めにかけている作品だと土のザングリした感じが器の表面に残って微妙にぬくもりを感じる。豪快すぎず、凛としすぎず、酔うための器としては最高だ。

今まで何度も産地に直接足を運んだが、風光明媚で酒も魚も美味しい。青い海と雄大な松原が印象的だが、穏やかでありながら力強くもあるあの空気が唐津焼に独特の風合いをもたらすだろう。

なんて、いっちょまえの表現をしてしまった。文化人みたいだ。

唐津は福岡から電車に乗ってボーとしていると乗り換えもなく到着する。福岡出張のついでにちょっと時間を作って足を伸ばすことをオススメします。

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