最近すんごく惹かれる言葉がある。この言葉を聞くと気分が明るくなる。もっともっと広まって欲しい。
「節約疲れ」。
なんとも良い響きだ。みんなが座右の銘にすればいい。
このブログ、無理やり?「富豪」を名乗っている以上、貧乏くさいことは書けない。少し贅沢なぐらいのネタを書かないといけない。
そんな私にとって、ここ数年の何でもかんでも安い方がエラい!デフレバンザイ!みたいな風潮は許せるはずもない。
「節約疲れ」という言葉がメディアに出てくるたび嬉しい気分になる。
ユニクロの売行きが鈍化、デパートの売上げ不振が下げ止まり・・等々のニュースが報じられるたびに「節約疲れ」という理由が新聞の見出しになったりする。結構なことだ。
安売り戦略大成功の象徴であるマクドナルドがなんともビミョーなトライアルを始めた。これも間違いなく、節約疲れの反動に呼応した機敏な対応だろう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100426-00000022-maip-bus_all
節約は美徳でしょう。それはそれで理屈だ。立派なことだ。でもそれだけで消費社会、文明社会に生きる現役世代が納得するはずもない。
枯渇感ばかりでは心も殺伐とする。適度な贅沢は絶対に必要だと思う。貧乏なら貧乏なりの贅沢はあるし、お金持ちはお金持ちなりの贅沢がある。
いつもはカツ丼なのに、頑張ってウナ重を注文することで贅沢感を味わう人がいる。これって、ある意味メルセデスで我慢していた人がベントレーを買った時の充足感と同じだ。
張り込んだ感じ、ちょっと背を伸ばした感じ、ウッシシと口元がほころぶ感じ・・・。どんな次元に生きている人だってこういう感覚を味わう機会がないと味気ない。
戦時中のスローガンとして有名なのが「贅沢は敵だ」というもの。一説によると東京だけで15000枚のポスターが貼られたとか。
こっそり一文字書き足して「贅沢は素敵だ」と読ませるイタズラも珍しくなかったらしい。イタズラというより心の叫びだろう。
バカみたいな浪費を奨励するつもりはない。あくまで“分不相応な節約”を問題視しているつもりだ。ついでにいえば、主体性がないまま「みんな節約しているからオイラも節約しよう」みたいな「ノンポリ節約」の横行が気に入らない。
闇雲にみんながみんなノンポリ節約に励んだらどうなるか。閉そく感、大不況、人心の乱れ、飢饉で飢え死に、一揆の発生、流血の革命前夜・・・。そんな感じだ(大げさだ)。
一応、イソップの「アリとキリギリス」の話は胸に刻んでいるつもりだ。それでもやっぱり贅沢は素敵だと思う。シャレになる範囲での贅沢は迷わず実行したい。
そしていつの日か、「贅沢疲れ」という言葉を発してみたいものだ。
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