この季節、徳利とぐい呑みを掌でもてあそぶことが多い。燗酒を入れた徳利は、ポカポカと暖かく、釉薬を使わない焼締めの備前徳利などは土のぬくもりがダイレクトに感じられてなで回したくなる。
冷酒なら冷酒で徳利が汗をかいた風情が涼を誘うが、いじくり回すと手がビチョビチョ濡れて不快だ。やはり徳利には燗酒が良い。寒い季節の楽しみだ。
この写真はお気に入りの徳利の一つ。瓢箪型なので瓢徳利と呼ばれるスタイルだ。酒を注ぐときにトクトクと独特な音が楽しめる。備前の酒器名人・中村六郎さんの作品。
ぐい呑みはビジネスバッグに収納して外食の際にも活用しているが、さすがに徳利は持ち運べない。どうしても自宅使用だ。
家で呑む際に風流などと気取っていられないので、なかなか出番がない。でも、静かになった夜更けに一人、湯せんした徳利を愛でながらシンミリ呑む時間はかけがえのない時間だ。いろいろとリセットできる。
2番目の画像は、これも備前の重鎮・吉本正さんの作品。奇をてらわない端正な造りと勢いよくロクロ挽いた雰囲気が滲み出ている気持ちの良い徳利。丸味を帯びたフォルムが掌で遊ばせるには最高だ。
3番目の画像は若手作家・大澤恒夫さんの作品。備前の土に李朝風の装飾が施された一風変わったもの。野趣たっぷりで酔いが進むと不思議と使いたくなる。
徳利の面白さというか、魅力の一つが中身が見えない点だ。当たり前といえば当たり前だが、見えないからこそ覗きたくなる。覗いても暗闇しか見えない。その神秘的な雰囲気が好きモノには堪らない。
壷を集める人の心理も同じだろう。「壺中の天」という故事が有名だが、見えない壺の中には桃源郷がありそうな気配がある。
いわば小さい壷である徳利もそんな想像をかき立てる。実際の中身はカビだらけかもしれないが、注ぎ込んだ酒を美味しくする秘術を持つ仙人が徳利の中に住んでいそうな気がする。そう信じるほうが楽しい。
一説によると徳利にタンマリ注いだはずの酒は、いざ呑み始めると少しだけ目減りしているらしい。秘術を使う仙人が分け前として呑んでしまうのがその理由だそうだ。
実に素敵な話だ。
ちなみにこの説を唱えているのは私だけなので信用してはいけない。きっと自分がどれだけ呑んだか覚えていない酩酊状態の時に言い出した戯れ言だ。
ぐい呑みコレクションも結構な数になってしまった。最近、一番のお気に入りを出そうとしたら行方不明で困惑中。清水の舞台から5度ぐらい飛び降りて購入した大事な大事な一品がどこかに潜伏中。
京都の名匠であり人間国宝・清水卯一さんのぽってりとした釉薬のグラデーションが美しいぐい呑みなのだが、箱に入れて大切の保管していたので、どこか奥の方に仕舞い込んでしまったのかもしれない。
やはり、500LDKの豪邸?に住んでいるとこういう点が不便だ。すぐに行方知れずになる。そのぐい呑みは「おめでたい時限定」で使っていたわが家の家宝とも言える逸品だ。
逆にいえば、いかに最近私の身にめでたいことが起きていないかの証しだろう。
今度ちゃんと探して、見つかったらそれを祝って使ってみようと思う。
最近使ったぐい呑みも携帯で撮影してみた。上が唐津、下が丹波の作家モノだ。ちょっと野暮ったいボテッとしたぐい呑みが好きなんだなあと改めて感じる。
有田焼や九谷焼みたいな端正で精緻な作風はどうも性に合わないみたいだ。
きっと私自身が端正で精緻な人格なので、酒の席ではその対極を求めているのだと確信している。
これは手触りよさそうな徳利ですね。
返信削除六郎さんの良い徳利は憧れです。