2010年11月12日金曜日

酒と本

本を読むのが好きなのだが、読めずに放置してある本が随分たまっている。酒のせいだ。酒と読書のどっちを取るかと言われれば、どうしても酒を選んでしまう。

酔い加減が適度なら寝る前は必ず読書タイムなのだが、しっかりバリバリ酔っぱらっていると中々難しい。もともと活字中毒的な要素があるので、酩酊状態でも何かしら文字を追うのだが、そういう時は通販雑誌なんかをペラペラめくっておしまい。

それでもさすがにこの季節は読書量が増えている。読みながら眠ってしまうことが多いので、長編小説などはなかなか進まない。

浅田次郎の「終わらざる夏」をようやく読み終えた。夏の終わりに購入してあったのだが、いまごろ読了。

http://www.shueisha.co.jp/1945-8-18/
昭和20年8月18日日、千島列島の最北端・占守島で起きたソ連軍と日本軍の戦闘を題材にした作品だ。

戦争が終わったはずなのに起きた戦いの意味と巻き込まれた人達の葛藤と生きざまを描いた上下巻の大作なのだが、戦闘シーンはほとんど描かれず、あくまで何人かの登場人物の背景描写が延々と続く。

一人一人の人生が運命の一日に向かって描かれていく。下巻の後半ぐらいにようやく終戦となり、本題である運命の日につながっていく。そこに至るまでは徹底して登場人物の考え方、意思、背景描写が続く。

ステレオタイプに戦争の愚かさを説くのではなく、様々な背景を持つ登場人物の視点から狂った時代が冷静に俯瞰されている。

ファンタジー要素があったり、小気味よい筆致が続く浅田次郎作品の中では重厚な部類に入るのだろう。とはいえ、さすがのストーリーテラーぶりで、重い題材といえども読む側をすーっと引きつける。

圧倒された。終盤にはポロポロと泣いてしまった。本の力を再認識させられた。

大げさだが読書から得るものって大きい。酒と本の両立をもっと頑張らないといけない。

私の読書スタイルは長年の習慣でベッドに横になりながら上半身だけ起してページをめくる。この格好だとどうしても酒との両立が難しい。

だいぶ前にわが家の「呑み部屋」の話を書いた(http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/01/blog-post_11.html)が、せっかく酒を呑みながら本が読めるスペースがあるのだから使わない手はない。

というわけで、先日、伊集院静「浅草のおんな」を持ち込んで酒とともに味わってみた。浅草の小料理屋を舞台に中高年の色恋や生き方が描かれている読みやすい一冊だったのだが、小料理屋の描写が私の酒量をあおる。ページをめくりながらグビグビとピッチが上がる。

つまみは冷や奴と漬物と塩辛程度。小料理屋が舞台の小説なので、しっぽりと楽しもうと企んだのだが、思ったようにはいかない。

徳利から注ぐ杯をあおり、箸を手につまみを突つき、合間に本に目をやるという作業がダラダラ続く。なんか面倒くさい。

結局、酒が主役の座を奪ってしまい、気付けば酩酊。読んだはずの部分が頭に入っておらず、翌日、かなりさかのぼって読み直す。“3歩進んで2歩下がる”みたいな読書になってしまった。

やはり、呑みながら読むには、ウイスキーのストレートとナッツ類といった組み合わせじゃないと忙しくてダメ。なかなか上手くいかない。

それこそ小料理屋のカウンターの端に座り、本を読みながら一杯ひっかけるなんてシチュエーションに憧れるが、これまたハードルが高い。

顔見知りの店でいきなりそんなことを始めたら不自然だし、かといって初めての店だったら単なる感じの悪い客になってしまう。

安い大型店あたりなら、カウンターの一人客が何をしてようがお構いなしなのだろうが、そういう店は騒々しいし、食い物もまずそうだ。結構難しい問題だ。

以前、神楽坂の某割烹料理屋で初老のご婦人が一人、文庫本をさりげなく読みながら魚の煮付けなんかを食べている光景に遭遇した。

どこかの大学の先生らしい。なかなか絵になる姿だった。学究の道を歩んでいるせいだろうか、実に自然な姿だった。

どんな場所だろうと、読書姿がさりげなく周囲にとけ込むようになるには一体どのぐらいの本を読みこなす必要があるのだろうか。

そんな「たしなみのある大人」になりたいものだ。

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