真面目でもなく大盤振舞いをするわけではない範囲で相変わらず銀座に出没する。なんでだろう。自分でもたまに不思議な気分になる。
さっさと家に帰って寝ればいいのにとか、会社の近所の焼鳥屋で豪飲豪食すればいいのにと思うのだが、懲りずに出かける。
あの街に出かける理由を考えるときりがないが、やはり、「第一線オーラ」に尽きるのかも知れない。その中に身を置いていたい、まだ何とか踏ん張っていることを自己認識したいといった嗅覚が影響しているのかもしれない。
会社が池袋という僻地にあるせいでそういう思いが強まるのかも知れない。会社自体の移転をこれまで何度も検討してきたが、やはり「場所」はあらゆる意味で大事な問題だと思う。
負けちゃってる空気、弱っちゃってる空気、陰気な空気・・。銀座あたりはこういう空気の対極的な場所だから、ぶらぶらしていてもほんの少し背筋が伸びる。勢いを持っている人々にあやかりたい気持ちもある。
闊歩しているオジサンがたはもちろん、ブティックの店員さん、料理屋の仲居さん、クラブの黒服さんもホステスさんも、あの街の温度感に合わせようとシュッとしている点が気持ちよい。
端的にいえば、それぞれのポジションで自己演出をしている装飾感というか、非日常的虚飾感がどこか心地よい。
客だって応対する側だって演者みたいなもの。そこが面白い。日常の延長ではなく、どこか日常からリセットされた奥深さについつい吸い寄せられるのだろう。
先日、親愛なる某クラブの黒服さんが店を移った。親しく遊んだりするわけではないが、10年以上前から知っている。この人の顔を見るとなんとなく落ち着く。
銀座のクラブといえば、客それぞれに担当のホステスが決まってしまうシステムだ。よく分からないが、客が好もうが嫌がろうがたいていの場合、誰かが「担当」になる。
私の場合、担当無しの「店客」という形で顔を出す店もあるが、たいていは「誰々さんの客」になる。
誰かに連れて行かれた店にその後ふらっと行ってみても、前回連れて行ってくれた人の担当さんが、ふらっと行った客の担当になる。
前の店では担当さんではなかった女性でも、店を移る際に、持っている名刺すべてに案内を送り、のこのこ新店見学に来る客がいれば、客の意向にかかわらず、その店では「担当さん」になるわけだ。
銀座あたりでは飛び込み客はまずいないから、流れの上では誰かしらが「担当さん」になるわけだ。
黒服氏が移った店には彼目当てで行ったわけだから、その店で私の担当は男ということになるのだろうか。よく分からない。でもそれも良さそうだ。
男に会いにわざわざ銀座のクラブに行く。アマノジャクの私にとって悪くないパターンだ。
でも行ったら行ったで横についた女性の胸元ばかり眺めている私だ。
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