世の中の父親像は私が思っている以上に大きく変わっているようだ。「頑固オヤジ」とか「寡黙な父」は絶滅危惧種みたいなものだろう。
そういう私も娘には甘いパパなのでエラソーな事は言えないのだが、そんな私でも最近の「父親の中性化」が気になる。
娘の通う学校には「お父さんの会」なるものがある。あくまで保護者の任意組織という位置付けだが、各種行事のペーパーなんかは先生から子どもに渡されたりする。
だから行事案内が来ても学校の正式行事なのかどうか判断に迷う。娘の入学時に初めてイベントに参加した時に、学校の正式行事ではないと解釈した私は、以来一度も参加していない。
だいたい、信用して子供を預けた以上、学校との関わりは父親の担当外ではなかろうか。もろもろの家庭と学校との接点は母親が担うべきで、「おとうさん」がアーだのコーだのしゃしゃり出る姿は妙な感じがする。
娘の学校の父親連合主催の行事は、テレビでやっているような集団でのゲームだとかフィールドアスレチックだとか、その手のものが中心だ。案内の文面を見てもお父さん方の必死な感じが漂っている。
娘はいつも楽しげなイベントに参加できないので怒っている。最近ではさすがにあきらめたようだが、イベント案内が来るたびに不機嫌になるから困る。
それにしても、30代、40代ぐらいのお父さん方といえば、社会の中心で何かと忙しいはずだが、マメにイベントの企画や運営に精を出す人が結構大勢いる。
率直に賞賛したり感謝しないといけないのだろうが、どうにも不思議だ。みなさんヒマなのだろうか。私の感覚が変なのだろうか。
イベントにはいつも半数以上の子ども達がお父さん同伴で参加するらしい。普段は学校で子ども同士遊んでいるわけだから週末ぐらい家族で過ごしたり、学校以外の時間を充実させればいいと思うのだが、その考えがおかしいのだろうか。
普段週末に子どもと遊ぶ時間が取れないお父さん達なんだろうか。それなら、休日に企画されるイベントに来ること自体が無理だろう。ひょっとしたら娘との遊び方が分からないのだろうか。はたまた単に群れていたいのだろうか。
どうも悪く考えてしまう。そんなに子どもにかまけていられないと思うのだが、異業種交流会みたいな感覚で参加するのだろうか。
そういえば、子ども同伴のイベントだけでなく、お父さんだけで野球観戦に行ったり、飲み会なんかも開催しているから、そういう意図を持つ人もいるのかもしれない。
困ってしまうのが、イベントやら飲み会の案内にメーリングリストが活用されている点だ。さすがの私もアドレスを登録しているのだが、個々の返信が全員にくまなく配信される。
すなわち、欠席の返事は同学年に娘を在籍させているすべての父親に配信されるわけだ。それこそ「欠席裁判」みたいな気分になる。
中間集計みたい形で父親全員の名前一覧表に○とか×が記載されたメールまでやってくる。ご丁寧というか何というか、実に微妙だ。
冒頭で「お父さんの中性化」と書いてみたが、どことなく“女性的”に思える。飛び交うメールの文面を見ても、なんか「お母さんの会」みたいな感じだ。
一般的に学校と親の関わりって、保護者会を想像しても分かるように母親が参加して、わいのわいの親睦してくるものではなかっただろうか。
子どもの学校に対して父親が関知する場面は年に一度の運動会が基本で、それ以外には、自分の子どもが発表会の主役にでもなった時に、のっそり参加するぐらいが関の山だと思うのだが、確実に今の世の中は違うみたいだ。
結局、母親が強大な力を持つに至り、「父権」が失墜してしまった世相を反映しているのだろう。家庭の諸問題にまで男が首を突っ込むようになれば必然的に子どもの学校にも絡ませられる。
私は一応、男尊女卑論者のつもりはないが、男と女の間には、差別ではない「区別」が必要だと思っている。ましてや子を持つ親となれば、男親・女親の役割が同じであるはずはない。苦労は分け合っても、物理的な作業までイーブンに分け合うことはスジ違いだ。
なんか、今日は面白くもないグチを書き連ねてしまった。
実は、先日、息子が通う特別支援学校の運動会と娘の学校の保護者会が重なってしまった。小難しい話が嫌いな私は運動会に行かされた。
有難いことに娘が私の補佐役として同行してくれた。「保護者参加競技」には当然娘が参加した。
保護者参加競技といえば聞こえはいいが、要は意味不明の激しい踊りをともなうお遊戯だ。シラフで、おまけに無給で踊れるわけもない。
お遊戯に参加した親はたいていがお母さんだ。そりゃそうだ。保護者ヅラした娘もブツブツ言いながら立派に女親代わりを務めてくれた。ゴールデンウィークに娘と二人で寿司屋に行ってしこたま接待した甲斐があったというものだ。
まあいいか。
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