1ヶ月前にこのブログで「デブで困っている」ことを書いた。
あれから1ヶ月、4キロも体重が減った。まあ分母が分母だから、4キロぐらいネズミの鼻くそぐらいの量だが、それなりに嬉しい。
いろいろと軽快だ。このぐらいなら腹上死せずに済みそうだ。
パリ旅行で2キロ以上体重が落ちた。旅先では太るのが常なのだが、今回は健康的なスーパー散歩三昧のせいでダイエットになった。
米が好きでパンが嫌いな私にとって、パリでの食事は最初からさほど興味がなかった。そうは言っても、その土地のものには執着したくなる性分だから、一応はいろいろ試してみた。
旅の前半で、固くて噛めやしないサンドイッチに遭遇し、臭くて食えやしない鴨料理にぶつかったことで、一気に食への執着はなくなった。
往路のスーツケースはスカスカだったので、カップ麺を8個も持参。帰国する際にはペヤングソース焼きそば1個を残すのみとなったわけだから、「美食の街」を相手に随分と乱暴な食生活を通してしまった。
グルメとは程遠い自分の「ドメスティック男」、略して「ドメ男」ぶりが情けない。
もっとも気に入った「フランス料理」は「オランジーナ」という炭酸飲料。毎日2本以上飲んだ。ファンタオレンジを優しくしたような味でカラッとしたパリの気候に妙にマッチしていたので、気がつけばグビグビ。
それ以外にフランスらしいといえば、朝、昼、晩を問わずシャンパンをグラスでクイクイ飲んでいたことぐらいか。
天下のフランスだ。グラスのシャンパンを注文すれば、間違いなくシャンパンが出てくる。カヴァとかスプマンテとか、スパークリングワインではない。聞いたことのない銘柄でも、あくまでシャンパンが供される。
パンにバターを多めに塗りたくってシャンパンをキューっと飲むパターンが連日続いた。だから頻繁にモノを落としたり、無くしたり、地下鉄の駅を寝過ごしたり、実に不用心な状態になっていた。
“スーパー散歩”については、連日6時間は歩いていた。かなりの運動量だ。
ガラにもなく、美術館には結構出かけた。ルーブル、オルセーにはそれぞれ2度、オランジェリーやマルモッタン美術館でもじっくり印象派の作品を堪能した。
もっとも感動的だったのが、オルセーで見たミレーの晩鐘。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%AC%E3%83%BC
祈りを捧げる農夫ではなく、背景の夕焼けの色彩に強烈に心が揺さぶれた。変な話、なぜか泣きそうになる感覚に襲われて焦る。
一枚の絵からそんな気分にさせられたのは生まれて初めての経験。自分の感性がまだまだ腐ってないことを実感して、ちょっと喜ぶ。
ルーブルで一番見たかったのがラトゥールの作品。漆黒の闇のなか、ろうそくの灯りから生まれる光と陰を幽玄な趣で描いた作品で知られる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB
ルーブルでは、ストロボを使わない写真撮影がOKだったので、「聖ヨゼフ」と「マグダラのマリア」のそれぞれの目に焦点を当てて撮影してみた。
モネの「睡蓮」の大型連作をわざわざ展示するために整備されたオランジェリー美術館には、パリ到着後、さっさと行きたかったのだが、今回、凝り性の私が企画したのは、「現場を見てから絵を見に行こう」というプラン。
すなわち、パリ郊外のジヴェルニーにあるモネの家と庭園をじっくり観察してから、そこにある池で生まれた「睡蓮」のシリーズを鑑賞しようと考えたわけだ。
滞在していたサンジェルマンデプレのホテル「Lutetia」の近くにフランス国鉄のチケット売場があったので、駅で悪戦苦闘することなくジヴェルニーへの切符を購入。
当日、朝っぱらから小一時間かけて特急で移動。着いた駅からモネの庭までは、シャトルバスが出ているのだが、長蛇の列に並ぶのがイヤで、駅前のカフェでレンタル自転車を借りてみた。
5、6キロの道のりなのだが、ボロいママチャリだったから、ものの数分で太ももが文句を言い出す。「ひとりツールドフランス」状態。それでも田舎ののどかな景色を眺めながら到着。
モネが愛した庭は日本庭園をイメージして作られたもの。肝心の睡蓮の花は咲いていなかったが、モネが描いた水面に映る光や樹木の陰を間近に感じることが出来た。
わざわざ現地を見たことで、その後のオランジェリーの大型連作やマルモッタンにたくさん展示されている単発の「睡蓮」を見る際に役だった気がする。
オランジェリーでは、わずかな間だが、睡蓮の部屋に私以外誰もいないというラッキーもあった。自然光で作品を見られるこの部屋に長く佇んでいると、外の天気の加減によって絵の雰囲気が微妙に変わる。なかなか興味深い体験だった。
この作品もモネの絵だが、やはり水面に映る陰や光のきらめきが印象的だ。写真で切り取るには不可能な印影の魔術のような表現にとても惹かれる。
前半で書いたラトゥールの光と陰の描写もそうだが、一瞬の光の反射というか、見る者の脳裏に焼き込まれた光彩をキャンバスに閉じこめる画家の眼に圧倒される思いだ。
なんか偉そうに書いているが、絵に興味を持ったのはつい最近のこと。アマノジャクな私だ。いつまで興味を維持できるか分かったものではない。
一応、大人だから文化的な教養も少しぐらい吸収しないといけない。なんとか、もっと絵の世界にのめり込めるようになりたい気持ちもある。
ただ、文化的だとか言っても、しょせんは宗教画にかこつけて女性の全裸ばかり描かれていたような事実もあるし、覗き窓風の構図で裸婦がたくさん描かれている作品をたくさん見てくると、「高邁なエロ道」を目指す私にとって、決してベクトルの違う世界だとも思えない。
裸婦画を徹底して研究して、ニタニタ論評できるような次元にたどり着いたら楽しいかもしれない。
今日は絵の話に終始してしまった。美術館めぐり以上に重要テーマだった「靴屋めぐり」については次回書いてみたい。
9足も買ってしまった・・・。破産が近い。
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