2011年8月8日月曜日

インチキ集団の末路

わが社は専門新聞を発行している会社だ。編集畑で四半世紀ほど仕事をしてきた私としても、一応、物事は淡々と客観的に書かねばならないと意識している。

このブログはわたしの趣味みたいなものなので、主観ブリブリに好き勝手なことばかり書いている。それでも、仕事に絡む話などは、どこか客観的な書きぶりに注意している。

なんでこんなまどっろこしい前振りを書いているかというと、私の仕事分野にドンピシャの「子ども手当」問題について、どうにも客観的に事実を淡々と書く気が起きないからだ。

連日メディアを賑わす子ども手当問題の行方について、正直言えば「なんか四の五の言ってらあ・・」という印象しかない。

10月以降は、月額支給額がいくらになるだの、所得制限をどうするとか、3歳未満だったらあーだのこーだの等々、枝葉末節な内容ばかりが日々報道される。

「ふーん」としか言いようがない。単純に国民がだまされた部分への怒りが既存メディアの報道からは一切見えてこない。


政権交代のきっかけになったマニフェストの目玉政策がいとも簡単にホゴにされる。一体なんなんだろう。“げにあさましき”というフレースが頭をよぎる。

現行の子ども手当は、社会全体で子ども達を育てるという大義名分で所得制限を設けなかった経緯がある。それが陳腐な思想のもとで制度の根幹部分がいとも簡単にうち捨てられるわけだ。実にインチキでいい加減な話。

結局、今の政権が目指すのは中堅、高所得者層から絞れるだけ絞り取る社会だということ。奇しくも導入後わずかでインチキが露呈した子ども手当が、政権のウサン臭さを証明してしまったわけだ。

もともと、労働組合をメインの支持母体にする政党がイメージだけで手に入れた政権の座だ。実際に国家運営を行う上で、発想の落としどころはしょせん、成長支援より富の分配という部分でしかない。これが悲しい現実だ。

みんなで平等に貧乏を目指す路線とでも言おうか。この言い方は決して大袈裟ではない。金持ちは憎悪の対象、持ってる人からは収奪して、適度に小さくまとまって競争も避けてノホホンと暮らす人々に分配しましょうという考え方が基本だろう。

政権交代選挙で圧倒的な勝利を収めた事実をもって「選んだのは国民だから」という責任逃れの声もある。なんともビミョーだ。

一応、それも理屈だし、もっともらしく聞こえるが、まさに笑止千万だ。

選ばされた基準がウソだらけだったのだから、国民はサギにあったようなもの。

「オレもこの前の選挙で、民主党に投票しちゃったからなあ」という気まずい感覚を持つ国民が意外に多いことが、「民主党おろし」の世論が盛り上がらない隠れた理由の一つだろう。

繰り返しになるが、しつこく書く。確かに選んだのは国民だ。狭い解釈でいえば、選んでしまった以上は選んだことによる結果責任があるのが普通だ。

ただ、今回のような「不可抗力」では責任などちっとも感じる必要はないと思う。選ばされる段階で、基礎資料がまるでデタラメだったのだから、逆に悪質な裏切りにキレまくるほうが正しい反応だと思う。

今日は真面目に感情的に熱くなってしまった。

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