2011年10月3日月曜日

京都

来週は京都に行く予定だ。一応、仕事で出かけるのだが、週末を絡めて遊んでくるつもりだ。

5年ぐらい前までは毎年、1~2回はふらふら京都に行っていたのだが、しばらくご無沙汰だ。まだ紅葉には早い時期だから、鬼混みしてないはずだし、のんびり秋風を感じながら散策しようと思う。

京都デビューは高校2年の時。ひとりでふらっと出かけた。今思えばなかなか風流な子どもだった。

素泊まりの民宿みたいな所に泊まった。相部屋になった人が北大の大学院生で、絵に描いたようなカタブツ君だった。「おじゃまんが山田くん」に出てくるガリ勉君みたいな感じ。毎日、彼は何かの学会を聴講し、私はただぶらぶら街をほっつき歩いていた。

夕方、お互いが部屋に戻って顔を合わせても話はまったくかみ合わない。それでも成り行き上、最後の日に私から食事に誘った。

居酒屋に入り、カタブツ君と世間話。ちっとも盛り上がらない。おまけにカタブツ君は居酒屋のメニューがちっともわからない。

「つくねって何?」「エイヒレって何?」いちいち質問攻めだった。親切な私は彼に色々とレクチャーしてあげた。

ほろ酔いになった彼は、珍しく、笑顔になって饒舌になった。

居酒屋を出た彼はまだどこかに行きたいらしい。学会の聴講だけで過ごしたカタブツ君が最後の夜にハイテンションになるのも仕方がない。

仕方なく、目についたノーパン喫茶に彼を誘った。私だって高校2年だ。そんなところに行った経験はわずかしかない。それでも、持ち前のサービス精神で突撃した。

店に入った途端、あられもないウェイトレスさん達の姿に彼はまっ赤になってしまった。席についても、まったく顔を上げられずに置かれていた週刊誌をめくっている。

「もっと見ないとダメですよ」と注意する私。それでも一切顔を上げられずに彼は過ごしていた。ひとりニンマリきょろきょろする私。むすっと黙り込む彼。変な光景だった。

あくる日、京都駅でカタブツ君と別れる時、彼は突然、私の手を強く握り、眼にいっぱいの涙を溜めてブツブツ言い始めた。

「こんなに楽しかったことはない。僕は一生この旅行とキミのことを忘れないよ」。ホントに涙がこぼれそうな顔で振り絞るように言ってくれた。

こっちは二日酔いでダルかったのだが、少しだけジーンときた。

いま、彼は何をしてるのだろう。もう50歳を超えているはずだ。偉い学者さんにでもなっているのだろうか。本当に私のことを覚えているのだろうか。なつかしい思い出だ。

その後もしょっちゅう京都に出かけた。祇園のお寿司屋さんに通い詰めて、すっかり常連顔して飲んでいたこともある。

とことんフシダラに過ごしていた30代前半のある時期には、京都のおかげで救われたこともある。当時、新宿・歌舞伎町をベースに乱れていた私をある人が京都に連れ出してくれた。

その人は伝統芸能の世界に生きる人で、旅先で文化や歴史の渦に巻き込んでくれた。
本来は文化的な人間である私?は、それをきっかけに日常を反省した記憶がある。悪の道?から脱出させてもらったような旅だった。

鯖寿司や白味噌の雑煮、せいろで蒸した冬の温かい寿司のウマさを知ったのも京都だった。10年以上前に泊まった祇園の宿で出された作務衣が気に入り、お土産で買って帰っていまだに温泉旅行の際には愛用している。

一時期はお香ばかり買いに行って、家中が混ざり合った変な臭いで満たされていたこともある。

大阪出張の際、さっさと切り上げて京都に向かい、真冬の雪に埋もれた三千院で一人、スーツのまま陶然と時を過ごしたこともある。

平日の夕方、私以外に誰もいない空間は恐いほど静かで、時折、木に降り積もった雪がザザッと落ちる音しか聞こえない。あの時間は妙に印象に残っている。意味もなく誰かと心中したくなったほどだ。今でもふと思い出すことがある。

なんか思い出話に終始してしまった。年齢を重ねるごとに、あの街の持つ空気の感じ方は変わってくる。久しぶりに行く京都だ。完全なる中年になった今の自分がどう感じるのかが楽しみだ。

2 件のコメント:

  1. カタブツ君とのエピソードは、
    まるでちょっとした映画になりそうですね。
    少し、胸のあたりがキュンとしました。

    京都散策報告、
    楽しみにしてます。

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  2. たまきさま

    コメントありがとうございます。

    旅の思い出って結局、人との触れあいだったりしますよね。

    カタブツ氏、どこでどんなエライ人になってるんでしょうか。

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