いきなりだが今日は変態について考えたい。
青虫が蝶に変わるようなくだらない話ではない。もっと学術的な変態の話だ。変態性欲と言うべきか。
私も他人様から変態野郎と言われ続けて30年(ウソです)。いろいろな変態話を聞いてきた。あくまで聞いてきただけである。
こんな高尚なブログで具体的なプレイ内容を開陳するわけにはいかないが、人間の欲とか業ってシロモノは奥深いこと甚だしって感じである。
スカトロ方面、縛り縛られ方面、グループ交尾方面などなど、世に言う変態のジャンルはいくつもある。いわゆるフェチ的なものも含めれば、「変な性癖」の種類は際限ないほどだろう。
女性とそういう場面になると、いきなり豹変して「このメスブタめがっ!」と叫ぶ紳士がいる。女性は皆ドン引きするらしい。想像すると爆笑してしまうが、それこそ人のそういう点を笑ってはいけない。
誰もが一風変わった萌え萌え嗜好を内面に抱えている。幼児趣味とか死姦とか許されないジャンルは別だが、誰もが持つ変な癖は本来尊重しあった方が平和なんだと思う。
人間の残念なところは、自分に縁のない嗜好に没頭する人を警戒し、排除しようとする点だ。どうしても同好の士で群れたがって少数派を異端視したがる。
変態問題についても同じ構図だ。もともと魂の命ずるままの性癖を変態などと呼ばれては堪ったものではない。その行為をするヤツが多いか少ないかだけで判断され、少数派という理由だけで変態のレッテルを貼られる。
私も随分腹を立ててきた。人と違うことをしたがるアマノジャクだったら即、変態になってしまう。
現代ではごくごく普通になっているプレイが、数百年前には誰もトライしていなかったとする。それだけでその時代の人から見れば変態行為だ。
古代ローマ時代などは、今よりもよほど性にオープンだったそうだ。奴隷も普通に存在した時代であり、一説によると上流階級の夫人の局部を舐める役目の奴隷すらいたらしい。
凄い話だ。でも、凄いと感じること自体が今時点の感覚であって、当時の上流階級においては凄くもなんともないごく普通の日常だったのかも知れない。
性の分野に関係ない話だが、「エラい人は一昔前の変人」である。カリスマとか、神格化される偉人の多くが、後世の評価によってそのような地位に押し上げられている。
現役バリバリの時には異端視されて石を投げられたりしている。そんなもんだ。
いま「キャー変態!」とか言われてイジケてる人も心配は要らない。きっと100年もすれば立派な男だったと讃えてもらえる。私も22世紀には、性人、いや聖人になっているかもしれない。
さて、変態をもう少し掘りさげよう。変態趣味は、どちらかといえば男の趣味の世界だと思う。
もともと凝った趣味に没頭しがちなのは男性だが、それ以外に根本的な構造の問題も多分に影響している。
「男のセックスは脳でするもの」。この普遍的な仕組み自体が、変な性癖の芽になっているのだと思う。
男性と女性では、快感の度合いが5倍だとか10倍、はたまた30倍も違うらしい。そのぐらい素晴らしい快感を与えないと出産という過酷な作業を放棄しかねないので神様がそう仕向けたらしい。
逆に、仮に男に出産を経験させたら、痛みに耐えかねて死んでしまうと言う話も聞く。
なんともシュールな話だ。
肉体的快感に劣る男性は、脳をフルに使うようになる。元来夢想家である男としては、いかがわしい妄想が暴走し、あっという間に変態が出来上がる。
そう考えると、つくづく男の情けなさというか、切なさが気になる。当然男である私は男の味方である。変態男に憐れみと同情を禁じ得ない。
必死で女性を追っかけて、いざそういう場面に至っても、脳の中におかしな光景が広がり、時に変なプレイを求めて、相手からぶっ飛ばされる。いやあ実に悲しい。
女性の皆さんには、そんな男性をもっと憐れんでいただきたい。男の妄想をアホバカと一蹴しないでもらいたい。
「人生に必要なのは真実より綺麗な嘘である」という言葉がある。そういう意味では、男女に必要なのは、くだらない真実より興奮する嘘なんだと思う。
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