2012年5月2日水曜日

寿司屋という世界

雑誌で「イチオシの寿司屋」なんて特集が載っていると、つい買ってしまう。行くつもりもないのにパラパラ眺める。


国民食である寿司の世界は実に奥深い。いい加減なお兄ちゃんが作る握り寿司ならぬ「乗っけ寿司」、機械がせっせとシャリを作る効率性重視の回転寿司、はたまた銀座あたりでアホほど高いお勘定を取る店や、歌舞伎町あたりには極悪ボッタクリ寿司もある。

出前中心の住宅街の店、立ち食いの店、持ち帰り専門のチェーン店とか、種類や形態は実に多岐にわたる。

大人の男が、しっぽりと飲み食い、ゆるりとした時間を過ごすパターンの店となると、おのずと限定される。その人にとって居心地が良ければ良い店だし、その逆も真なりだ。

思いきって言ってしまうが、安さをウリにする店は別として、一定水準以上の店に限れば、ウマいのマズいのという議論は不毛だろう。

定義は難しいが、私が勝手に思っている「まっとうな店」であれば、居心地が良いか悪いか、相性が合うか合わないか、それだけだ。


そこそこの値段を取る店で、そこそこの雰囲気を維持して、そこそこ器なんかにも拘って、それなりに固定客を掴んでいる店であれば、イマドキの物流事情を考慮して変なネタが置いてあることはない。

ついでに言えば、腕の劣る職人、志の低い職人がそんな店を切り盛りしているはずもない。

ネットなどのクチコミサイトでは、寿司屋に関しても好き放題書かれているが、カウンターを挟んで一種独特のやり取りが前提になる寿司屋を評するのにあれほど無意味なものはないだろう。

ランチの握りを1回食べた人が、シャリがどうのマグロの質がどうのなどと書いていると、片腹痛いというか、おぞましさしか感じない。

そういう書き込みをする人に限ってコスパがどうのとか、再訪は無いなどとブツブツのたまう。あれは一体何なんだろう。

お寿司屋さんの良し悪しなんて、一度や二度食べにいったところで決められるはずはない。季節ごとに置いてあるものは違うし、職人さんの「引き出し」は素人が思っている以上に豊富だ。

鮮度なんて良くて当たり前だ。新鮮さを前提に食べ頃や食べ方をどう工夫するか、一手間、二手間のかけ具合はどうか、客の希望に添ってどの程度アレンジしてくれるのか、1時間なり2時間座っている客の時間をどう演出するか、など複雑な要素が絡み合って、良い店かどうかが決まる。

そこに個人的な好みや相性という感覚的なものが加わるのだから、ちょっとやそっとで良し悪しなんて判断できない。


私の場合、お寿司屋さんに招待されるのが苦手だ。要は自分のペースで楽しめないし、その店がどんな面白い食べ物を出してくれるかも分からない。招待されている以上、あれこれ注文もしにくい。

「この店、星付きの人気店なんですよ」と言われても、天体観測に興味はない。人気といっても、どんな階層の人達からの人気なのかが分からないから判断しようがない。

仕方なく黙って座ってブロイラーみたいな気分で過ごす。だからお呼ばれする店を選ばせてもらえる場合には、お寿司屋さんは勘弁だ。

お寿司屋さんのカウンターに座る意味って何だろう。人と人とが向きあって、互いの様子をうかがいつつ、ウマいモノ追求のためにキャッチボールをするわけだ。

職人さんを相手にオススメをたずねたり、こちらのわがままを聞いてもらったり、勝手気ままなペースで飲み食いできるのが最大の利点、いや目的だ。

漫然と店側の都合に合わせたモノを出されるのなら無意味だ。だから、おまかせ一辺倒のいま流行の店には興味が湧かない。魚のことや旬の知識も不要だし、お気楽でいいのだろうが、間違いなく店も客も育たない。

客だって、恥をかいたり、痛い思いをしながら成長?する。私自身、ずいぶん色んな目にあってきた。カウンターで楽しく過ごせるようになりたいから耐え忍んで!?きた。

でもそういう経験は必要だろう。寿司屋のカウンターで食べるという行為自体が、日本独自の食文化の形でもあるわけだから、客だって多少の経験は必要だ。ファミレスのように簡単にはいかない。

そんなの面倒だと言う人は、素直にテーブル席とか個室に陣取ればいい。そのほうが専有面積だって大きくなるし、気ままにそこそこ美味しいものを食べられるから、それはそれで悪いことではない。


さてさて、どんなに評判がよい寿司屋でも、客である自分がその店に慣れていなければ、その店の良さは分からない。その店より評判が劣ろうとも、自分にとって馴染めている店であれば至福の時が過ごせる。

なんかエラそうに書いているが、居心地が良くて、面白いモノが食べられて、そこそこのお勘定でも惜しくないと思える店を見つけるためには、それなりに大変な思いもする。

何度か通ってみて、店のスタイルや特徴とかウリを知ったうえで、店主との呼吸や客層まで含めてしっくり来るかどうか判断するしかない。

いわばアナログ的な作業を強いられる。私自身、実際にこれまでに数え切れないぐらい「お寿司屋さん探検」をやってみた。

素晴らしかったがアホほど高すぎた店もあったし、極端にネタが少ない店もあった。押しつけがましい店、店主が教祖サマみたいになっちゃってる店、客層が悪すぎる店、雑な店、汚い店などなど、しっくり来る店は中々見つからない。

長く通い続けられる店はやはり少数だ。

で、長く通い続けられる店に行くと、ついつい変なモノを頼んじゃったり、余計な細工を頼んじゃったり、結局、エラそうに言いながらちっともイキな客じゃない状態になる。

先日は高田馬場の鮨源で、まるまる太ったホタルイカをバター焼きにしてもらった。ニンニク醤油をまとわせて食べることが多かったのだが、この日はバターを選択。


正直、中年の味覚には、ちょっとクドくなってしまった。

でも焼酎がグビグビ進んでそれはそれでアリだったと思う。

よく分からないまとめ方になってしまったが、変なモノというか、自分専用にアレンジしてもらった一品なんかを楽しめるようになったら、お寿司屋さんはこの上のない幸福空間になる。

2 件のコメント:

  1. グルメ評価サイトに対してのご意見、至極納得です。
    そもそも、自分が本当にオススメできる店のみを評価すれば良いのに、いちいちこの店はどうだとまるで評論家宜しく店の評価をおとしめる輩には品位を感じません。
    「すべての評価サイトは実名でコメントすべし」は暴論でしょうか?

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  2. 匿名様

    コメントありがとうございます。
    味覚なんて個人的なものですから、主観だけでああだこうだ言われても困りますよね。

    実名限定のコメントだったら評価する人の恥も公になるから面白いですね!

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