2012年5月28日月曜日

中年雑記

それにしても「中年」である。アラフォーどころの騒ぎではなくなってしまった。どう逆立ちしても若者ではない自分に時々びっくりする。

若者に戻りたい気持ちはまったく無いのだが、かといって、このまま今までのような早さ(感覚的なものだが)で年を重ねることに違和感もある。

面白いもので、老化は実にゆっくりと自然にさりげなく無理のないペースで身体に居座り始める。

徐々に。この言葉がピッタリだ。

軟体動物みたいに柔らかかった身体は徐々に固くなり、徐々に視力は劣化して、徐々に胃袋も人並みの容量になり、徐々に腰が痛くなったりする。

頭の中はどうなんだろう。気付けば記憶力は弱まり、予定調和を良しとする判断ばかりになり、保身や妥協を優先しがちになった。

瞬時の判断力は若い頃より進化したのだろうが、発想の着地先がどうにもフレッシュではない。「劣化」しているような気もする。

徐々にそうなってきた。

まだまだ老け込むには早いのだが、ちょっと残念な状態だと思う。

「こだわり」などと言えば格好いいが、ひと皮剥いたら、単に固定観念に凝り固まっているだけだったりする。

たまに若者に刺激を受けて、固定観念の呪縛から一歩外に出てみると妙に世の中が明るく見える。心をフラットにしておかないと自分が損するわけだから要注意だ。

中年という存在の面倒な部分は、若者でもなければ年寄りでもないというところだ。青臭いことは言えないくせに、悟ったような言葉を吐くほどこなれていない。「適度な感じ」を求められているような立ち位置とでも言おうか。

自分を振り返ってみると、好奇心なんてどこかに行ってしまったかのようだ。新しいことに挑む気力が湧かないことは自ら人生を退屈にしているわけだから、この点は猛省しないとなるまい。

「オトナの余裕ですね~」とか若い女性に言われることがある。馬鹿言ってるんじゃない。余裕なんかではない。ボーとしているだけだ。

「ガツガツしてませんね~」。こんなセリフを向けられることもある。冗談じゃない。疲れているだけだ。ガツガツしたいけど心身ともにそうもいかない事情もある。

適度な達観と、一歩を踏み出す柔軟性。これがマスターできたらカッチョイイ大人なんだと思う。

少なくとも悶々とこんなくだらないことを書いているようでは、エネルギッシュな大人にはなれないのは確かだ。

エネルギッシュな大人だったら、こんな問題を意識することもなく日々を過ごしているはずだ。

頑張らねば。

いやいや頑張ることは正解ではないのだろう。頑張っちゃうと、「郷ひろみ」みたいな痛々しい感じになりそうでイヤだ。

やはり自然体が一番なんだろう。

今日は、隠居ジジイみたいな話を書いてしまったから、ついでにそれっぽい詩を紹介したい。尊敬する人に教わった茨木のり子さんの「倚(よ)りかからず」という詩だ。73歳の時の作品だそうだ。ちょっと感動した。

これに感動しているようでは、やはり隠居ジジイっぽいだろうか。

いやいや、悶々とする中年こそこういう姿勢は大事だと思う。




「倚(よ)りかからず」 

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない

もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない

もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない

もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない

ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい

じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

4 件のコメント:

  1. 富豪記者さま

    今回も時には深く頷き、時にはププッと笑いを堪えながら読ませて頂きました。
    月曜から肩の力が抜けていく感じで非常に心地良い気分にさせてもらいました。
    ありがとうございます!

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  2. 玉さま

    お礼など言われてしまうと恐縮してしまいます。

    お役に立てた?みたいで良かったです!

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  3. こだわりとかいって、好奇心と柔軟性を失っているなーとよく思います。こころは15才なんですが、ふと現実を見ると人生の折り返しを大きく過ぎちゃってることに愕然とします。
    あーあ

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  4. 悶々様

    心は15才。実にいい心がけですねえ。

    見習いたいです。

    人生後半戦、本能のままに生きていきたいですね。

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