2012年8月27日月曜日

ランチの罠

ランチが苦手だ。そう書くと妙だが、私にとって昼飯は難問である。

昼にしっかり食べたら夜の楽しみが半減する。「夜から男」、いや、「夕暮れから男」として生きている以上、昼間のすべてが「アウェー」みたいなものだ。

仕事の付き合いランチがない限り、基本的に昼飯は食べないか、ごくごく軽く済ませる。プリンとか大福とか甘いもので終わらせることもある。

なるべく飲食店にも行かないようにしている。ランチ競争の激しい都会では、妙にボリュームたっぷりのメニューばかりだ。喜んで食べたら夜に後悔するはめになる。

わびしさ覚悟でコンビニのおにぎり一個とかで済ませないと食べ過ぎてしまう。

まっとうなランチを食べる場合、ビジネスランチなどでもそうだが、軽く一杯引っかけることもある。

若者サラリーマンではないから、オッサン同士のランチだとビール1杯ぐらいは珍しくない。洒落た店だとグラスでシャンパンだ。

ごくたまに一杯が二杯になり、二杯が三杯になり、「まあいいか状態」に突入することがある。昼の酒は酔うと言われているが、確かに普通より酩酊しやすい。

きっと背徳感という魔法が加わるからだと思う。でもそれが良い。世の中の楽しみの多くが背徳感によって支えられているのだと思う。

子どもが隠れてエロ本を眺めるような感覚だろうか。全然違うか。


先日、日本橋のマンダリンオリエンタルで小洒落たランチを楽しんだ。地震にビビる私としては、高層階は苦手なのだが、さすがに東京のど真ん中だけのことはある。38階からの眺めは圧巻だった。

グラスのシャンパンを何度かお代わりしてビビる気持ちを落ち着かせる。酒飲みの言い訳ほどタチの悪いものはないが、まさにそれだ。

店の名前はその名も「ケシキ」だった気がする。正直、高級ホテルのダイニングにしては、テーブルの間隔が狭く、いまどきの新興ホテルの限界を感じた。あれなら1階下にあるバーラウンジのほうが居心地は良さそうだ。

コンサバ太郎である私としては、ここ10年ぐらいの間に増殖した外資系高級ホテルが、みな同じように見える。スノッブでとんがってる感じで、そのくせ、敷地の余裕の無さからか、全体に窮屈な雰囲気を感じてしまう。

帝国、オークラ、ニューオータニあたりの老舗の場合、スペースのムダがゆとりにつながっている。洒落っ気に欠けるとしてもイマドキホテルとは違うノンビリ感が味わえる。


マンダリンでは名物らしきハンバーガーを頼んだ。普通に美味しかった。この味に老舗の歴史だとか物語みたいなエッセンスが加われば最高なのだろうが、新興ホテルにそれを求めるのは無理がある。

古い東京をエコヒイキしてしまうクセのある私としては、景色だけが印象に残った。いや、ホテルオリジナルブレンドのハーブティーはウマかった。うっすらライチが香るような実にホッコリする紅茶だった。

別な日、九段下にある「トルッキオ」という店でランチタイム。自家製パスタがウリのイタリアンだ。穴場ムードは満点。せせこましい感じではないところがよい。

スパークリングワインをぶりぶり飲んでしまった。オリーブオイルにパンを浸し、上品に嗜んでいたつもりが、いつの間にかガブガブ状態になった。

朝に飲むシャンパン、略して「朝シャン」は、金色かつ泡が上に向かって上昇する風水的な縁起の良さで知られるが、「昼シャン」も最高である。その後の予定など強引に吹っ飛ばす力がある。


前菜も美味しい、パスタ麺もいい感じだ。残念ながら私が頼んだレバーペーストを多用したクリームパスタはクセが強くてムムムって感じだった。改めて夜に挑戦したい店だった。

こういうちゃんとした店のちゃんとした昼飯を食べてしまった日は、当然のことながら夜が楽しめない。一丁上がりになってしまう。そこが問題である。

酒を飲まなければいいという問題ではない。酒抜きだろうと昼間に満腹になった私の内臓は、夜のお勤めを拒否してくる。不仲の夫婦みたいな感じだ。

全然違うか。

そうはいっても、昼の酒はしょせん大酒にはならないし、そのおかげで夜抜きの生活になるのなら健康には良いのかもしれない。

結局、昼の酒の言い訳ばかり書いたような気がする。

日々反省である。

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