畳のある暮らしに今更ながら憧れる。いま住んでいる家にも和室を作ろうとしたのだが、和室にすべき部屋を「アジア風」にアレンジしてしまったので畳がない。
畳があるべき床にはチークの無垢材を貼った。掘りごたつにはなっているが、こたつには見えない洋テーブルを設置。床に座って酒を飲むという点では、日本的とも言えるが、やはり和室ではない。畳の匂いが時に恋しくなる。
思えば、昔住んでいた実家では、家族の誰もが寒くなると和室でこたつを囲んでいた。部屋数も多く、かなり広い家だったのだが、広いリビングダイニングではなく、狭い和室に皆が終結していた。あれが日本人の感覚だったんだろう。
温泉宿に行くと畳の部屋にホッコリする。自宅に畳がないくせに実に不思議な感覚だ。まさにDNAだ。普段慣れ親しんでいないのに妙に落ち着くわけだから身体に染みこんでいる日本人的感性の強固さに感心する。
温泉宿という存在は、そう考えると文化遺産みたいなものだ。自分が暮らす場所を選ぶ時は、ついつい洋式のカッチョイイ住まいに惹かれるくせに、いざ温泉に行けば誰もがベタベタの和式に喜ぶ。
温泉宿で洋間に通されたり、西洋料理が出てくると腹が立ったりするのだから勝手なものだ。
普段は着ることのない浴衣をごく自然に着込んで、古式ゆかしい?日本料理を楽しみ、シャンパンだのカクテルなんぞは選ばずに日本酒をクイクイあおる。
電気製品とかハイテクとかアニメなんかが日本的なものとして注目され、海外でも大人気だが、日本旅館の文化的側面についても、もっと外に向かって知らしめるべきだと思う。
最近は、モダン和風というアレンジによって現代人でも過ごしやすい旅館が増えてきた。単に洋間にしちゃうようなセンスの無さには辟易とするが、布団の代わりにローベッドにしたり、浴衣を作務衣にするなど、和の感覚を残しながらの利便性向上は歓迎だ。
日本旅館の良し悪しを左右するのが朝食の段取りだろう。そこそこの高級旅館なら部屋に朝食を用意してくれるが、旧式旅館だと、寝起きにズカズカと布団上げのオジサンが来たりしてゆったり気分が台無しになることがある。
部屋食だから仕方がないし、それを避けるには大きな二間続きの部屋を抑えるしかない。布団は敷きっぱなしにして次の間に配膳してもらう。このあたりは多少の出費を覚悟して束の間のプチ贅沢を選びたい。
宿泊している部屋とは別の個室の食事処で朝食を摂るという選択肢も悪くないが、寝起きのボケ顔で部屋から移動するのが億劫なこともある。化粧と髪型のおかげで美しく変身している女性にとっても厄介な問題だろう。
以前訪ねた北海道・登別の「滝乃家」は、そうした問題を完全にクリアしていた。これまで数えきれないほどの旅館に泊まってきたが、あの仕組みには脱帽した。
部屋にはローベッドが設置されたスペースとは別にソファが置かれたくつろぎ場があり、それとは別に完全に仕切られた食事用のスペースがあった。
秀逸な点はこの食事場所。厨房のほうからつながっていて、仲居さんは客の居室部分を通らずに出入り可能。すなわち、客がベッドでゴロゴロしていても、客とは顔を合わさずに自室の食事場所でキッチリ準備が整う仕組みだ。
お客様本意というか、客の目線で考え抜いた設計だろう。もちろん、それなりに値もはる宿だったが、関東の有名温泉場の小生意気な旅館に泊まる程度の出費を覚悟すれば、心地よい贅沢が味わえる。
さてさて、いよいよ秋がやってきた。温泉旅館に行かねばならない季節がやってきた。
今日、こんな話題を書いていたら、いても立ってもいられなくなってきた。温泉旅館が呼んでいる。
どこに行こうか、近場にしようか、函館あたりまで飛んでいこうか、九州のにごり湯も捨てがたい。うーん、もうだめだ。気づけばどこかに行ってしまうのだろう。
誰と行こうか、一人で行こうか、そんなことを考えている時が一番幸せを感じる今日この頃だ。
今月号の文藝春秋に
返信削除富豪記者様の先輩方
がででましたね。
富豪記者様が
掲載される日を楽しみにしています。
ブログ楽しみにしてます。
一愛読者より
一愛読者様
返信削除コメントありがとうございます!
例の同級生交歓ですよね。
エリートの方々ばかりで、壮観でしたねえ。
こちらはスットコドッコイチームでしたので、同窓であることを隠したほうがいいかもしれません。。。