2014年4月25日金曜日

「天切り松」とか


「やめられない止まらない」。言わずと知れたかっぱえびせんの広告コピーである。

地味なフレーズだが、実に的確な宣伝文句だと思う。

私の場合、キャラメルコーンもカールもハッピーターンも一度食べ始めると、なかなかやめられない。

それでも「やめられない止まらない」というフレーズは、かっぱえびせん専属だと確信している。

いきなり、くだらないことを力説してしまったが、「やめられない止まらない」という言葉を一冊の本のせいで思い出した。


「天切り松」シリーズの最新刊が今年になって9年ぶりに発売された。ようやく読む機会があったのだが、いやあシビれた。相変わらず最高という言葉しか浮かばない。

浅田次郎ワールドの魅力が最大限に詰まったシリーズだと思う。今回の作品が第5巻になるのだが、読み始める前に復習のつもりで第4巻をパラパラめくってみた。

面白くて面白くて、結局第4巻も全部読み直しちゃった後で、最新刊に移った。まさに「やめられない止まらない」感じである。

大正ロマンが香る東京を舞台に、いわば「義賊」にも似た活躍をした盗っ人一家の思い出話が独特の話法で語られるという設定だ。

義理と人情に厚く、イキでいなせな盗っ人一家の逸話が威勢の良い江戸弁で彩られている。

一種のオムニバス形式でいくつものストーリーが展開しているのだが、歴史上の有名人物が随所に登場してくるところが面白い。

これまでも東郷平八郎、山県有朋、愛新覚羅溥傑、竹久夢二、永田鉄山あたりの渋めの著名人が登場する。永井荷風なんてしょっちゅう出てくる。

今回は、昭和7年、初来日したチャップリンが5・15事件に巻き込まれそうになった逸話が巧みにストーリーに組み込まれていた。

小説の好みなど極めて個人的なものではあるが、この「天切り松」シリーズは、小説というエンターテイメントの面白さがすべて詰め込まれていると感じる。

大正以降のモボモガに代表される大らかな空気と、一方で戦争に向かって確実にキナ臭くなっていく世相、明治維新から続く薩長支配への嫌悪感が行間から滲み出ていて、作者の超絶的な力量に圧倒される。

最新巻とその前の4巻を熟読したことで、改めて1巻から3巻を読み返したくなった。一気に読みたいから、遠からず予定している少し長めの旅行に持参しようと思う。


こちらの本は、伊集院静さんの最新作。銀座の「夜の部活」で時々見かける御仁だ。実はこの本、筆者との付き合いからか、まとめ買いをしていた7丁目の某クラブがお土産として活用していたようで、私もおこぼれをいただいた。

自分で買いもしないでアレコレ言うのもまずいが、かなり面白かった。割と分厚い一冊だったのだが、寝付けぬ夜に一気に読み切ってしまった。

この作家の作品でおなじみの無頼な男が主人公である。無頼というか、ヤサグレというか、世間からハミ出ちゃった男の話だ。

男として生まれると、若い頃、一度は不良に憧れる。そんな感性を思い返して読み進み、これまた「やめられない止まらない」状態になった。

先に逝く人を失ってから分かる痛み、喪失感というどうすることもできない切なさを噛みしめる男の生き様が描かれている。

私自身、半世紀近くも生きてくると、さすがに人生の機微みたいなものを身をもって知る場面が増えた。

今さら不良になりたいとは思わないし、無頼を気取る純情さも持ち合わせていないが、時々は不毛な思索にふけることだってある。

年相応に押し寄せてくる切なさとかやるせなさとの折り合いの付け方には苦心する部分もある。そんなことで悶々としている。

悶々としたところで何も変わらない。そんなことは百も承知だが、それでも悶々とする。結局はそれ自体を日常の一部だと割り切って消化しようとする。

きっと世の中の中年男は、そんな心の攻めぎ合いを繰り返しながら年を取っていくものなんだろう。

「いかに切なさを肯定できるか」。世の中、肝心な事は結局それなのかもしれない。

何だか堅苦しい言い回しになってしまったが、そんな気分の中年男ならこの一冊は楽しめるはずである。

いまさらだが、本はいい。ひとときでもそっちの世界に没頭させてくれる。ジンワリと何かが心ににじんでくるような読後感の本をもっともっと読まねばなるまい。

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