2014年7月4日金曜日

愛人 メカケ

近年様変わりしたものの一つが「愛人」だろう。

いきなり何を言ってるんだとお叱りを受けそうだが、今の社会を象徴する真面目な社会学みたいなテーマである。

「愛人のデフレ化」、「プチ愛人」、「独身なのに愛人募集」等々、実際にそんな話をよく耳にする。

何となく一昔前までイメージされていた「愛人」とは様相が大きく変わっている。

男女の垣根が昔と変わってきたことで、潜在的な意識の中で描いていた「家庭像」は実現が難しくなり、結婚をしない人が爆発的に増加した。

ようやく結婚したとしても、離婚件数は爆発的に増えており、もはや結婚自体を「リスク」と思う風潮すら強まっている。

とはいえ、男が女を求め、女が男を求める摂理自体は変わらない。だから「独身男なのに愛人を探す」といった現象につながる。

「愛人」という言葉の定義自体、以前は「既婚男性が妻以外の女性を囲う」ことを指していた。

いまでは、結婚を求めない独身男性が適当な対価と引き換えに女性と関係を持つパターンが珍しくなくなり、その場合にも「愛人」という呼び方が定着した。

女性のほうも、一人の男性のオンリーとして重い立場になることを嫌い、丸抱えされるような愛人の道は選ばない。自らの仕事は持ちながら月額10万とか15万の援助で適度な時間だけ男性に拘束される。これが「プチ愛人」である。

プチ愛人がよりカジュアル?になって、月に一度や二度の関係を持つ「愛人」を複数持つパターンも多いらしい。

いわゆるセフレみたいなものだ。こんな夢も浪漫もない?コンビニ感覚の男女関係が普及したことが結果的に「愛人のデフレ化」という話になったわけだ。

男も女も一応の逃げ道を残すようなヌルいつながり方が今の時代の特徴だろう。殺傷沙汰とか心中騒動とかの命がけの恋愛とは程遠い。マイルドでゆる~い関係が主流になっているようだ。

さてさて、結婚しないで愛人を作る。そう聞くと、それって恋人のことかと疑問に思う。この点がポイントである。

恋人というポジションだと、結婚というゴールに進んでしまうからNG--。実に寂しい話だが、根っから結婚に抵抗がある人にとっては仕方ない理屈だ。

おカネという対価を介在させることで、あくまで家庭を連想させない愛人という立場にとどめるわけだ。

実際、既婚男性が愛人を持ちたがる心理だって、基本的には家庭の匂いとは無縁の男女空間を確保したいからである。

あくまで愛人さんは「愛人」である。それなりに心が浮き立ったりワクワクするような気分になったとしても、「恋人」という言葉が持つニュアンスとはどこか違う感情を抱いてしまうものである。

付き合い始めの盛り上がってる時期は、おカネが介在していないから「恋人ちゃん」である。ウキウキ爽やかである。これがおカネが絡み始めると「愛人さん」に変身する。ちょっとドンヨリまったり系に変身である。微妙な違いだが大きな違いである。

おカネが介在することで、少なくとも対等ではなくなる。双方にとって、おカネがいろんな意味での免罪符として作用しはじめるわけだ。

話を戻す。独身男が結婚相手を探さずに愛人という選択肢を優先することは今後も増加すると思う。

女性のほうだって、若くして結婚して専業主婦になろうと思う人は昔より少ない。だいたい、若い男女が結婚したところで、収入面を考えれば専業主婦に収まることは難しい。

おまけに若い男性の草食化は冗談抜きに深刻なようで、仕事や一定の自由を捨てたくない若い女性が、「プチ愛人」になってしまうパターンが減ることはないと思う。

なんとなく切ないというか、刹那的というか、ビミョーな現象である。

でも、乱暴な言い方になるが、ひょっとすると結婚よりも優れた形かもしれない。男がそこそこの年齢で、おまけに離婚経験者だったりすれば、そうした線引きをしたくなるのも無理はない。

家庭を持ちたくない男にとっては、愛人に対価を払っているほうが、よほど経済合理性の上でマシという理屈も成り立つ。

情もある、愛しい気持ちもある、でも長年に渡って保障は出来ない、一定の距離感は維持したい。そんなワガママを通すために対価というビジネスライクな道具を使ってごまかしているわけだ。

「共に白髪の生えるまで・・・」という長年連れ添ったからこその情とか情緒は尊い。とはいえ、それだって当事者として経験しなければ理解できるものではない。

どことなく味気ない風潮だが、冷静に分析してみれば、狂った考え方ではないのだろう。社会構造の変化、男女の意識変化にともない、現代の婚姻制度が限界に来たという見方にもつながるのかもしれない。

今日はオチャラケ話を書こうと思ったのだが、大真面目な書きぶりになってしまった。

余談を一つ。

死語になった「妾(めかけ)」という言葉、そもそもは「目を掛けて世話をする」の「目掛け」だったものが、紆余曲折を経て「妾」という当て字に変わったらしい。

「妾」という文字、「立」と「女」で構成されているのではなく「辛」と「女」が合体した文字だそうだ。

イマドキの愛人はちっとも辛くないから「妾」という言葉が使われなくなったのかもしれない。

おまけに「妾」という文字には、こんな由来があるそうだ。

http://kanji-roots.blogspot.jp/2012/01/blog-post_09.html

まあ、私の場合は、社会のそんな風潮に飲まれずに昭和の高校生のような可愛らしい恋愛をしようと今も企んでいる。

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