東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2014年10月10日金曜日
思秋期
また一つ年を重ねた。つくづく時間が過ぎていくのが早い。肛門痔に注意、いや、光陰矢の如しである。
このブログのプロフィール欄には「40代男盛り」とか書いているが、そう言えるのも残り少なくなってきた。
まさに秋である。今の季節のことではない。人生における秋である。
青少年時代が春、社会に出て悶々と無器用に闘っている頃が夏、「終活」に励む年頃を冬に例えれば、私の今はまさしく秋である。
実りの秋である。これまで生きてきた歳月から得たものは限りないほどある。それらを糧に今を生きているわけだ。
随分、実っているはずだ。たぶん。いや、きっと、う~ん、どうだろうか。何も実ってないかもしれない。家も土地も財産分与しちゃったし・・・。それは関係ないか。
思秋期という言葉がある。思春期に対抗して使われる。子供から大人になる頃が思春期であるのに対し、大人から老人になる頃が思秋期というのだろう。
40代、50代あたりはまさに思秋期だ。まだ枯れてはいないけど、枯れる日が遠からず目に見えている感覚だろうか。
話は変わるが、その昔、岩崎宏美が「思秋期」という歌をヒットさせた。阿久悠の作詞である。
あれは思春期が終わってしまう女の子の切ない感情を歌ったもので、オッサン、オバハンの思秋期とはまるで意味が違う。
ホンモノの思秋期軍団に言わせれば屁のカッパみたいな若造の話である。
さて、大人の思秋期である。なんとなくうら寂しい雰囲気の言葉だが、世の思秋期軍団は実際には元気ハツラツである。
オバハンなんかは宇宙を自分が回しているぐらいの突き抜けた感覚で行動している。
オッサン達は疲れも目立つが、総じて皆さん元気である。肉体的には若い頃に比べて劣化が目立つのにナゼか元気である。
銀座のクラブで大騒ぎして明け方までアフターで騒いでも、平気な顔で普通に出勤するオッサンもゴロゴロいる。
身体は劣化しているのにますます意気盛んな不思議なオッサン、オバハンに共通しているのは「図々しさ」である。これに尽きると思う。
図々しさといっても、傍若無人な感じとは違う。いわば、自分自身に対する図々しさでも言えば良いだろうか。
長く生きてきたことで、若い時より遙かに多くのことが見えてくる。投げやりとは違う達観のような感性も強くなる。ウジウジすることの無意味さも充分に知った。
その結果、根拠のない楽観に身を委ねるようになる。これって図々しさの極みである。でも、この域に達すると割と日々幸福だったりする。
30代の人なんかにこの感覚は無いと思う。ご苦労様である。本気で同情する。いま死ぬほど苦悩していることだって10年経ったら笑顔で思い出すこともあるはずだ。
まあ、思秋期軍団はそのぐらい脳天気にならないとやってられないという現実がある。だからこそ、あえて日々をケセラセラで過ごしている。
ちっとも上達しない私のギターだって、よく考えれば随分トンチンカン、いや図々しい挑戦だと思う。
そもそもオヤジバンドが全国的に増殖していることも思秋期軍団の図々しさを端的に表している。若い頃なら変な照れと妙な自意識がそんな行動を抑えてしまう。
私にしても、子供の頃に音符の一つさえ読めなかったほど音楽的な適正がないくせに、頭の中ではいつの日か人様の前でカッコつけて弾き語りを披露する姿を思い描いている。
図々しいったらありゃしない。
そういえば、女性を口説こうという意識だって20代、30代の頃より図々しくなった気がする。
若い頃は、ウマくいかなかったらどうしよう、フラれるなんてカッコ悪いといったシミったれた根性が邪魔をしていたが、今ではそんなことヘッチャラである。
「数打ちゃ当たる」ぐらいのハチャメチャぶりである。
いかんいかん、こんなのを読まれちゃったら、いつ誰にアゲアシ取られるか分かんないから適当にしておこう。もとい、日々、真面目に過ごしているところです。
まあ、恋なんてするものではなく、落ちるものである。あまり四の五の理屈をこねずに出たとこ勝負で生きていれば何とかなるだろう。
世の中、面倒なことだらけである。生きていることすべてが面倒なことだと言い換えてもいい。
仕事、対人関係、日常の暮らし、すべて面倒なことの積み重ねである。だからこそ全部に対して事細かく精一杯向き合ったら、簡単に病気になってしまう。
どの場面に精力を傾けるか、どの局面にどれだけエネルギーを向けるか、その配分こそが思秋期軍団の力量の分かれ目である。
どうでもいいことにまで注力するほど余裕はないし、時間だってそろそろ残り少ない。自分の信じるままに、自分の感性に正直に、建設的な自分勝手を押し通す図々しさが大事なんだと思う。
社会に定着する数限りないほどの常識や固定観念のなかには、アホみたいなもの、実に無意味なものがいくつもある。
思秋期を迎えるまで、精一杯やみくもにそんな世間様の塀の中でチマチマ暮らしてきたのだから、思秋期になった大人は、必要の無い我慢などしないほうがい。
人様に迷惑をかけてはマズいが、そうじゃなければ、図々しく自分勝手に思うがままの言動を貫けばいい。
エラそうに書いてみたが、はたして自分はそんな感覚で生きているのだろうか。まだまだである。まだまだミミっちい感じが消えない。
もっと張り切っていこうと思う。
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