ウマく炊きあがったコメならドンブリで何杯でもかっこみたいぐらいコメが好きである。
この写真の豚丼のようにタレがコメに染みているヤツだったら上の具なんて無くたっていいぐらいだ。
どんぶりもの各種はもちろん、普通の白米、チャーハン、ピラフ、リゾット、パエリア、ドリアみんな大好きである。生卵かけ御飯、いわゆるTKGも大好物である。
暇な週末には寿司飯を自作する。食べ過ぎと分かっていても2合ぐらいペロっと食べてしまう。刺身よりコメを主役にしてガッついてしまう。
自作の寿司飯と言っても市販の寿司酢を合わせるだけだ。お気に入りの寿司酢を自分なりのこだわりの分量で使う。それだけである。
それでも充分ウマい。本マグロの赤身やイクラあたりをお供に寿司飯を頬張りながら録画済みの「太陽にほえろ」を見ているのが幸せな時間である。
今の時代、たいていの寿司屋では昔より寿司飯の味がマイルドになったように思う。昔はもっと酢が強いというか、味わいにメリハリがあった。
自作する場合、強めの味にするから白身魚などとは相性が合わないこともある。でも主役はあくまで寿司飯だ。好みの硬さに炊いたコメの食感と相まって、醬油すら無くてもペロペロ食べてしまう。
寿司飯が大好きなくせに街でお寿司屋さんに行くと、酒のツマミばかり食べて、握りは2~3貫ぐらいしか食べないことが多い。
もっと食べたい時もあるのだが、太っちゃうから我慢する。そんな欲求不満が週末の寿司飯ドカ食いの理由かもしれない。
寿司飯と一口に言っても、結構アレンジは可能だ。この画像は寿司飯で焼おにぎりを作ってもらった時のもの。
酢の風味のおかげで独特のウマさがある。スダチをチョロっとだけ垂らして食べても美味しい。
魚を乗っけて食べるだけではもったいない。温めてダシをかけてもウマいし、関西の冬は蒸し寿司もポピュラーである。
蒸し寿司は東京では滅多に見かけない。私自身、初体験は30歳過ぎの頃だった。京都のお寿司屋さんで食べて感動した。
一般的なのは蒸籠に詰めた寿司飯の上にアレヤコレヤと具材が乗っかりキンシタマゴで彩られて出てくる。
酸味のある寿司飯が蒸されてホカホカしている感じが東京人にとっては凄く新鮮だ。
ちょこちょこ訪ねる銀座の寿司「さ久ら」では、たいてい蒸し寿司を注文する。この店の場合、1貫分の握り寿司をそのまま蒸して、アンをかけて食べるスタイル。
甘鯛とかその手の魚がある時なら尚更食べたくなる。アンの味、すなわちダシの味と酢飯の酸味が調和してホッコリする。
うどん、おでんの例で分かるように今や「関西風」が絶対権力者のように日本的な食べ物の世界を席巻している。
東京人として悲しい思いもあるが、ウマいなら仕方がない。蒸し寿司もいろんなアレンジとともに東京でポピュラーになっていいと思う。
蒸し寿司と違って完全なる邪道ではあるが、コメ好きにとって堪らないのが、寿司飯の洋風アレンジである。
この画像は、ホッキやホタテをバター炒めにしてもらった残り汁、いや残ったソース?で寿司飯を炒めてもらった時のものだ。
酢飯の酸味がアクセントになって、斬新な複雑味が楽しめる。これを食べたいから貝類のバター炒めを注文してしまう。
こちらも寿司飯をちょこっとだけリゾット風に仕上げてもらった一品である。考えてみれば、ちゃんとした美味しい寿司を食べずにこういう注文ばかりしているのはタチが悪い。
分かっているならヤメればいいのに、酔っ払い始めるとすぐに調子に乗ってしまう。寅さん流に言えば「思い起こせば、恥ずかしきことの数々・・・」である。
痩せようと思ってはいるのだが、自分の食のパターンを思えば痩せるはずはない。それでも「彦摩呂」や「石ちゃん」よりはスリムだから良しとしよう。
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