2015年2月2日月曜日

クマムシ 自粛 ピケティ


♪あったかいんだから~♪


売り出し中のお笑いコンビ「クマムシ」のヘンテコな歌が頭から離れないで困っている。

職場で難しい顔で腕組みしている時も私の頭の中には、あのメロディーが鳴り続けている。

刷り込みってヤツだろうか。それにしても、あのメロディーラインは秀逸だ。「ラッスンゴレライ」よりも心に染みる。

話を変える。ハヤリものもその一つだが、世の中に漂う空気ほどよく分からないものはない。曖昧で頼りないものに思えて、その一方で凄いパワーを持っている。

いつの間にか社会を覆い始めている「窮屈さ」もそうした空気が影響している。インターネット社会を「私刑社会」と評していた人がいたが、ひと昔前までとは確実に世の中の空気が変わってきている。

神経質に相互監視が行われ、異質な意見や目立った存在はすぐに攻撃の対象になる。結果、事なかれ主義が安全策となり、自粛や萎縮が広範囲に広まる。

なんだか今日は話がまとまらない。

また話を変える。

萎縮した自粛社会を形作っている世の中の空気はいつの時代も「目に見えない力」が生み出している。

目に見えない力にも、自然発生的なものと作為的に作られたものがある。権力を持つ側は必然的に自分たちがコントロールしやすい社会を目指す。その手段として世の中の空気を自分たちに有利な方向に導こうとする。

安全保障をめぐるタカ派優勢の近年の「空気」だって戦略的に作られているわけで、数年後には「目に見えない力」がどんな事態を引き起こすのか不安になる。

古今東西、世論操作や世論誘導はあらゆる分野で巧妙に仕掛けられてきた。普通に暮らしている普通の人々は、漂ってくる空気を「そういうものだ」と漠然と認識することになる。

経済の分野でいえば、消費税の在り方などその典型だろう。導入するしないで大騒ぎしていた頃は、それこそ鬼っ子のようにイメージされていた。

あれから四半世紀。今ではすっかり「高齢化社会の福祉財源として必要不可欠なもの」という位置付けで認識されている。

税率アップへの拒否感こそあっても、いまや廃止はおろか税率引き下げを求める声すら聞かない。四半世紀かけて作られてきた「空気」の成せるわざだろう。

税金の話ついでにもう一つ。

「ピケティ現象」なる言葉が生まれるほど分厚い経済書が世界中でベストセラーになっている。

フランスの経済学者・トマ・ピケティ氏の「21世紀の資本」がそれ。昨年12月に発売されたばかりの日本語版も大人気だ。

過去200年にわたる世界の経済データを分析しつつ、観念論ではない資本主義における不平等を説いているのが特徴だ。

内容はさておき、お堅い経済書が世界的に大ヒットしている背景がどうにも気になる。すなわち、課税強化を狙う勢力がピケティ現象を味方につけようという思惑があるように思えてならない。

財政当局や御用学者にとって増税名目は何でも構わないのが本音だ。ピケティ現象が話題になればなるほど、増税したい面々は大喜びだろう。

問題は“悪ノリ”である。ピケティ本が言いたいのは財産税(富裕税)の導入など「超富裕層」への課税強化である。「上位中間層」に対して闇雲に増税しろという話ではない。

ただ、ごくごく簡単に言えば「金持ちにもっと税金をかけろ」が主眼だから、本が話題になればなるほど、「金持ちには重税を」という総論部分だけが先走っていく。

「お金持ち」の定義が曖昧なまま「増税すべし」という空気が広まっていくと、結局はスーパーリッチには程遠い「上位中間層」が割を食う結果になる。

年収3~4千万円の人と年収ウン十億円の人が同じ税率の所得税を課せられているように、現状の税制では「お金持ち」の定義が実にテキトーだ。

ピケティ現象も増税したい勢力からすれば、総論だけを拡大解釈して広めてしまえば「目に見えない力」になるから万々歳なのだろう。

うがった見方かもしれないが、ピケティ現象に便乗してニンマリしている連中の顔が目に浮かぶ。

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