花を愛でるといえば桜ばかりに注目が集まるが、私は断然「梅」派である。梅の花を見ると妙に嬉しくなる。
四季の中でも夏は過ぎ去っていくことを惜しまれるが、冬が去っていくことは大半の人が歓迎する。
梅は「そろそろ冬が終わる」と伝達する役割を持っているような気がする。実際には、梅が見頃になった後も寒い日は続くが、「あと一歩だよ」と梅の花がけなげに囁いているように見える。
桜よりも清楚な感じがいい。わざとらしくない。シュっとしている。可憐な雰囲気で香りもはかなげだ。
亡くなった祖母が「湯島の白梅」という大昔の歌を口ずさんでいたこともあって、毎年、季節になると湯島天神にふらふら出かけて梅を楽しむ習慣もある。手放しちゃった前の家にも母親が持ってきてくれた梅の木を植えていたし、私にとっての2月は梅の花と同義語みたいなものだ。
さてさて、梅干しや梅酒として大活躍するにも関わらず、梅の花は観賞用としても一級品だ。いわばスーパースターなのに、どうしても桜を前にすると地味なイメージになってしまう。
でも、その切ない立ち位置というか、ビミョーなポジションが梅の魅力である。桜には何の恨みもないが、梅の方が清らかな感じがする。
艶やかな桜が嘘つき女なら楚々とした梅は誠実で正直な女性のような感じがする。共に暮らすのなら桜よりも梅みたいな女性がいいと思う。
どんな人だ?
ということで、梅を見に出かけてきた。湯河原で温泉に浸かって、近くの梅林を散策しようと車を飛ばして行ってきた。
湯河原梅林より熱海の梅林の方が見頃だと聞いて、ちょこっと進路変更熱海に足を伸ばす。青空の下、白や紅の梅が美しく咲き誇っていた。
小川が流れる風流な作りの熱海梅園はかなりの見物客で賑わっていたが、桜の名所のピーク時に比べれば大したことはない。
そんなちょっとマイナーな感じこそが梅を愛でる楽しみかも知れない。昔のジャイアンツでいえば、江川に対する西本みたいな位置づけだろうか。張本に対する淡口みたいな感じ。意味不明でスイマセン。
今回の梅の旅、泊まったのは湯河原の旅館「海石榴」。昨年の秋にも訪れたのだが、館内の雰囲気、食事、風呂ともに間違いがない。
部屋の露天風呂は巨大ではないものの、圧迫感はなく週刊誌を持ち込んでタバコをくわえながら湯浴みするには最高である。
冬の温泉の良さは「頭寒足熱」に尽きる。顔は冷たいけど、身体はじんわりと温まる。のぼせそうになったら半身浴の姿勢になれば寒風が心地よい。
「梅と温泉」。日本人の中年が楽しむには抜群の組み合わせである。財布が許せば毎週でもこんな宿で週末を過ごしたいものだ。
食事に関しては何よりもダシのウマさを実感する。美しく盛られた前菜の一つ一つにしてもダシにこだわった味わいが嬉しい。
器も綺麗だし、盛りつけも洒落ているし、和食が世界遺産になるのは至極当然だと再認識できる。
コケオドシのような品は出てこないが、ぱっと見は地味に見える一品一品が丁寧に作られている。ゆったりした気分でカピカピと冷酒を飲み続けてしまった。
湯河原や熱海、伊豆方面の冬は、温泉と梅、そして小田原からの有料道路「ターンパイク」を使えば、この季節ならではの極上の富士山の絶景を堪能できる。
行楽シーズンを前にした今の季節こそ小旅行にもってこいだと思う。なんだか旅行会社の回し者みたいな書きぶりになってしまったが、そんなことを実感した時間だった。
遅コメごめんなさい
返信削除素敵な旅で羨ましい…確かに桜は華やかですが、梅はほんのりいい香りを漂わせつつ、清楚に咲く姿が可憐でいいですね
湯島天神の梅まつりも終わり、次はいよいよ桜の季節ですね!春が待ち遠しい
匿名様
返信削除コメント有り難うございます!
梅の季節はあっという間に終わりますね。
春の序章みたいなもんですね!