東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2015年2月6日金曜日
分かれ道
このところ寝る前に本を読むことが増えた。パソコンやスマホとニラメッコすると脳が活性化しちゃって寝付きが悪いそうだから、夜更けになると乱読気味に活字を追う。
難しい本を読めば眠くなるので、日々、哲学書でも読めばいいのだが、さすがにそれではつまらない。で、結局は気軽な短編をいくつか読むことが多い。
時々、本屋でまとめ買いをする。たいていは背表紙に書かれている簡単な筋書きだけで選ぶ。
短編の時代小説を探していたつもりが、ついつい中高年の葛藤や色恋を描いた話なんかを買い込む。
私自身は大殺界も終わり、脳天気にウキウキ過ごしているのだが、一応、葛藤を抱えたオトナのフリもしないといけない。だからそんな「葛藤小説」は参考になる。
最近も藤田宜永、角田光代などの短編を読んだのだが、変に共鳴できる作品にあたると、妙に脳が活性化しちゃって逆に眠れなくなる。
作家という人々はさすがである。人の深層心理を巧みに表現する能力には恐れ入る。若い人を中心に本離れが問題になっているが、実にもったいないことだと思う。
中高年を「素材」にした作品は高齢化社会の必然として今後もどんどん増えるはずだ。結構楽しみである。
高齢化社会の必然で、世の中を見回せば中高年ばかりである。文学に限らず音楽の世界でも、題材というか主役になるのは「若者」というイメージがあるが、徐々にそんな常識も変化していくのだろう。
私が熱烈に崇拝するハマショー師匠の楽曲も近年は中高年が主人公になるものが多い。
「君と歩いた道」というバラードがあるのだが、懐古しながら最終的には現状を肯定するという「中高年モノ」の王道である。出だしの歌詞を載せてみる。
♪
もし 15のあの夏に戻って
そこからもう一度やり直せたら
どんな人生送るだろう?
今よりも若く強い体
学んだ知恵 活かして
曲りくねった道を行こうと 迷わない
過ちやつまづきを繰り返すことなく
夢の段階 真っ直ぐに駆け上がってゆく
♪
私の場合、15の夏は、飲酒喫煙不純異性交遊?で停学になって坊主頭にさせられたので、ちっとも戻りたくはない。
それでも、10代の頃に戻ってやり直すとしたら、どんな時間を過ごすのか凄く興味はある。
小説や音楽の世界で中高年が主人公になっている作品の多くが「あの頃の自分に戻ったら、どんな判断をすべきだったか」、「あの時の自分が違う道を選んでいたら、どんな人生だったのか」といったテーマで成り立っている。
ウン十年生きてくれば、選択を迫られた場面は結構あったわけだから、誰だって自分が選んだ道が正しかったかどうかが気になる。
男の場合、人生の一大重要課題が仕事だ。私も人並みに憧れの職業ややってみたい仕事はあった。とはいえ、ずっと昔から今の仕事に就くつもりだったので、進路に関してシビアに悩んだ記憶が無い。
どっちの道に進むかという選択をしたことがないわけだから面白味?に欠ける。違う道を選んだ自分を想像しようにもピンとこない。この点だけは、自分自身に開拓精神がなかったことを少しだけ憂いたい気分にもなる。
でも大きな問題も無く半世紀近く笑って生きてきたわけだから、世界レベルの諸事情を思えば相当幸せなことだと思う。
あの時、楽器を習っておけばよかった、語学を習得しておけばよかった、もっと法律を専門的に学べばよかった等々、人生のパーツ?に関しては後悔はゴロゴロある。
でも、いずれも中高年から始めてマスターする人もいるのだから、しょせん私の場合はウジウジ言っているだけだ。どの道を選んでいてもやらずじまいだったような気もする。
でも、ギターはいまだに断念せずボチボチやっている。きっといつの日か「ギターが弾ける人」にはなる予定だ。
さてさて、「あっちの道を選んでいたら・・・」という点で、私が具体的に空想するのは20代の頃に親しかった女性のことぐらいだ。
4歳年上の人だったので、結婚するしないで意見が合わず離ればなれになった。その人はすぐに結婚して東京を離れた。
若かった私はその後も随分長い間、消化不良のような気持ちを抱えて過ごした。苦いような甘酸っぱいような思い出だ。
その後、10年以上経ったある日、旅に出た合間に一度だけその人に会ったことがある。以前のままの様子で懐かしそうに接してくれた。短い時間だったがとても嬉しい一時だった。
いま思えば、あの日が私にとって青年時代が終わった日だったのだと思う。
これまで数多くの出会いがあったが、心の芯みたいな場所に綺麗な残像が残っているのはその女性ぐらいである。
あの人と家庭を築いていたら自分の人生はどうなっていたのだろう。ふとした瞬間にそんなことを思う。私も人並みに「おセンチ」である。
でも、あの頃の自分を思うと今よりも数段アホだったからビミョーだ。だいたい20代という幼さはそれだけで凶器みたいなものだ。平穏無事に過ごせたかどうかは怪しい・・・。
素敵な恋愛も家庭という形に変化すれば、いつの間にか異種格闘技戦みたいになっちゃうことが多い。あの人とはそんな不穏な関係になりたくなかったから余計な空想はしないほうがマシだ。
やはり大事な思い出は美しいままで心の中に閉じ込めたおいたほうがいい。
なんだか今日は自問自答みたいな書きぶりになってしまった。
おセンチな懐古趣味に浸るのは爺さまの役目だから、そんなことをウジウジ書いていてはいけない。
「あの時、どっちの道を選んでいたら・・・」。誰もがふと思うことだが、今現在ニコニコ暮らしているなら、選んできた道は全部正しかったと言うことである。それが真実だと思う。
いいテーマですね。小説ではないですが、「天使のくれた時間」という映画をご覧あれ。
返信削除アコギ太郎サマ
返信削除ニコラス・ケイジだったよねえ。名作でした。思い出したらまた見たくなりました!
確かに若き日、特に10代の頃は懐かしくはあるけど、繰り返したくはない年代ですね。
返信削除それよりも青春が終わった日が記憶されているのは羨ましいです。いつかお嬢さんにその思い出をお話しできたら素晴らしいと思います。
まあ、今の日のために歩いてきた人生があるというのは僕も良い事、悪い事も含め実感します。
道草人生さま
返信削除「今の日のために歩いてきた人生がある」。
実に含蓄あるお言葉です!!
これから先は前を見て歩くのみだと思います。