東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2015年3月4日水曜日
自分
「自分に腹が立つ」、「自分が許せない」。時々そんな言葉を耳にする。「自分探し」、「自分癒やし」、「自分磨き」などなど「自分」をめぐるキーワードもいくつもある。
今日は「自分」について書いてみたい。私のことではない。
自分に腹が立つとか、自分が許せないというのは建設的な反省の言葉だから心構えとしてはご立派である。
まあ、こういう表現を好むのはたいてい若い人である。いっぱしの年齢になると、そうそう自分をイジめてはいられない。
頼れるのは自分だけ、信じられるのは自分だけ。そんな現実に何度も直面していると、自分というものがそれなりに大切になってくる。
「もっと自分を大事にしろよ!」。ドラマや映画のクサいセリフも、若者に大して向けられるもので、オッサンやオバサンはそんなお叱りは受けない。
いっぱしのオトナであれば「自分」は出来上がっているから、自分を頼りにもするし甘えもする。嫌っている余裕はない。
その分、若い頃より「自分」に対して叱咤することや鼓舞する場面も増える。結局、大事な相棒みたいな存在になっていくわけだ。
「自分大好き」みたいなナルシストは気持ち悪いが、「自分」としっかりした信頼関係を築くことは大事だ。少なくとも「自分が嫌い」だとウジウジしているよりはマシだろう。
長年苦楽を共にした夫婦がお互いを「空気のような関係」と表現することがあるが、「自分」との付き合いも似たようなものだ。
若い頃は尾崎豊の歌みたいに「自分」と上手に折り合えなかったりするが、年齢とともに素直に付き合えるようになる。そのうち「自分」というもの自体をアレコレ考えることさえ無くなってくる。
変な言い方になるが、「自分」って結構有難い存在である。ウマいものを食べさせてくれるし、綺麗なものを見せてくれるし、アヘアヘ言っちゃうような気持ちよいことを経験しようと奮闘してくれる。
もっとも、バカな考えにとらわれたり、恥ずかしい失敗もしでかす。後悔だらけのマヌケな行動もすべて「自分」がもたらしたものである。
でも、トータルで考えれば結構頑張ってくれているのではないか。元気に過不足無く暮らしていること自体、「自分」がそこそこ踏ん張っているからだろう。
これって「自己愛」とかそんな変な意味ではなく、大過なく過ごしている大人なら誰にでも当てはまることではないだろうか。
「自分が許せない」とか「自分が好きになれない」と思っている人は、日々の暮らしの中の楽しい部分にもっと目を向けた方がいい。
自分を傷つけたりしていると、いつか違う自分からシッペ返しを食らうような気がする。
いい年して「自分探し」などとアホみたいなことを言っている人がいるが、そんなヒマがあったら、もっと自分とフランクに付き合って楽しい時間を増やすようにすればいいと思う。
富豪記者様
返信削除自分...どんな存在、価値なのかいい歳をしてよくわかりません。なのでいつも芯がぶれているように思えてしまいます。
なのに、職場では格好つけたこと、言っていたりする自分がいます。
自分...やっぱり好きです。
匿名様
返信削除コメントありがとうございます!
自分を嫌ってしまうより健康的ですよ。
私もいまだにブレブレですが、そんな自分でもいたわってやらないとウジウジしちゃいますから。