2015年4月8日水曜日

花見の宴 人との交わり


杉並区内にある私の実家では毎年この時期、花見大会が行われる。私の兄が主催しているもので、今年も50人以上のお客様で大盛況だった。


例年サボり気味の私だが今年はじっくり参加してみた。著名な人、無名な人、初めてお会いする人、10年ぶり、20年ぶりにお会いする人など、いろんな人と交流できた。

正直に言うと私はどちらかというと人好きなタイプではない。人付き合いが得意なほうではない。

「君子の交りは淡きこと水のごとし」。いわゆる淡交精神を気取って日々を過ごしている。

そんなプチ偏屈男として、毎年、あれだけ盛大な宴を開催する兄夫婦のマメさには頭が下がる。自分には出来ない芸当である。

人は一人では生きていけない。そんなことは百も承知だが、つい人付き合いを億劫がってしまう。

自分で言うのも何だが人当たりは良い方である。初対面の人に仏頂面は見せないし、気を遣う方だからこっちから会話が円滑に進むように努力もする。

だから、飲み屋で見知らぬオッサンにナンパされても楽しくワイワイ過ごす。でもそれをきっかけに突っ込んだ付き合いを始めることはまずない。

これまでそれなりに長く生きてきたから、アチコチで様々な人と知り合った。

仕事関係は別として、旅先や趣味の世界でも物凄い数の人と知り合って、その時は刎頸の友であるかのように楽しく過ごすのに、その後、長い友人付き合いに発展することは希だ。

気心の知れた昔からの友人がいれば充分だと思ってしまう。もったいない話である。

人付き合いが得意ではない人間には特徴があるらしい。自意識過剰や自分自身のことが嫌いな人なんかが該当するらしい。

なんだかな~って感じである。私自身、自分のことを嫌うほど哲学的ではないから不思議である。

自意識過剰だとしたら、いい年してみっともないことだ。強いていえば、人から良く思われたいとか、人からの評価を気にしてしまう傾向はあるかもしれない。

マヌケな話である。他人様からの相談を受けるたびに「自分が思っているほど相手はアンタのことなんか気にしてないよ」とアドバイスするクセに、まさに「言うだけ番長」状態である。

人生後半戦だし、もっと社交的に生きた方がきっと楽しいだろうから考えを改めないといけない。

う~ん、今更難しいかもしれない。

でも、人は年を取れば取るほど子供に戻っていくそうだ。幼い子供が開けっぴろげで邪心抜きで人懐っこく他人に接するように、私もオジイチャンになれば変わるのだろうか。


さてさて、花見当日、さまざまな人といろいろな話をした。やはり人と会って話せば刺激も受けるし、学ぶことも多い。

下世話なテーマとしては、イマドキの離婚率の高さにちょっと驚いた。バツ1はそこらじゅうにいたし、バツ2もゴロゴロ(大げさか)いた。

3度目の結婚が危機に瀕しているという人と熱く語り合ったのだが、その人は各地に7人のお子さんがいるそうだ。立派である。

変な話、そういう方々は良く言えば凄く純粋な人なんだと思う。そりゃあ世間から見れば無計画でワガママというレッテルを貼られるのだろうが、そんな単純なものではない。

社会秩序を維持していくには、そんなレッテルも必要である。それはそれで大事なことだ。でも冷静に個々の人となりを見れば、ちっとも変な人達ではない。自分に正直で自分を騙せない素直な人だと思う。

まあ、そう言わないと私自身の立場が危ういのでそういう解釈をしておく。

花見の宴は、主催者が用意する料理だけでなく、ゲストの方々が持ち寄ってくださったスペシャルな料理がビュッフェコーナーのように並び、バーベキューコーナーでも延々と炎が舞い上がる。

最近テレビでも売れっ子になった築地魚河岸三代目の我が母校の先輩が大量に上モノのマグロや旬の魚介類を差し入れてくださり、ちょっとしたグルメイベントみたいな雰囲気だった。

ゲストの皆様が持ち寄ってくださった世界の酒もテンコ盛りで、老若男女入り交じってワイワイガヤガヤが夜遅くまで続いた。

一人気ままに暮らすのも楽しいことばかりだが、ちゃんとした家庭を築いてあれだけ賑やかな宴を催せる夫婦関係というのも良いものだと改めて感じた。

まあ、そんな殊勝な気分になったことは私にとって収穫である。でも1週間ぐらい経つとその感覚をコロっと忘れてしまうのが問題である。

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