2015年4月10日金曜日

鶏の皮


相変わらず鶏肉が大好きである。時々、いや割と頻繁に食べたくなる。寿司やウナギと同じぐらいしょっちゅう身体が欲する。

鶏好きのくせに私の悪いクセは皮の部分を邪険に扱うことだ。

その昔、ダイエットに血眼になった時、鶏皮はカロリーの塊だという悲しい現実を知って敬遠するようになった。

鶏のカロリーの半分は皮の部分が占めているそうだ。おまけに抗生物質漬けの安い鶏肉なんかだと皮の部分に悪い成分が蓄積しているらしい。

コラーゲンの宝庫だという意見もあるが、ムチムチ、プルプルの肌を持つ私にとってそんなものは必要ない。結局、皮に対するネガティブイメージが払拭できないでいる。

実に女々しい話である。鶏肉大好き連盟の一員として恥ずべき状況だ。

でも、それがすっかりクセになってしまい、剥がせる状況なら無意識のうちに皮を剥いでしまう。自宅でチキンライスや特製チキンピラフを作る際も、当然のように皮を剥いで使っている。

外食の際にもペロっと剥がせちゃう場合は、こっそり剥がしちゃう。焼鳥もかじるついでに皮の分をチロっと外して捨てちゃったりする。

昔は好んで注文していた鶏皮ポン酢とも絶縁状態である。シミったれた男みたいで不本意ではある。

しかし、そんなミミっちい行動のおかげで、鶏肉本来の旨味を敏感に感じられるのも一面の真実である。

皮はウマい。だからこそ皮と一緒に食べるとダメダメな鶏肉だろうと美味しく感じてしまう。安い唐揚げや怪しげなフライドチキンを食べれば実感する。

あの手の鶏料理の皮を剥いで食べてみると実につまらない味がする。鶏肉の旨味が感じられない。皮によって味が誤魔化されていることを痛感する。

ということで、上質な鶏肉とテキトーな鶏肉を皮抜きで食べ比べれば、その違いが明白である。

地鶏じゃなきゃダメだなどとケツの穴の小さいことを言う気はないが、せっかく食べる以上、やはり旨味を感じる鶏肉がいい。

困ったことに真っ当な鶏肉になればなるほど皮もまたウマい。ぶよぶよしていない。つい食べてしまう。カロリ-なんてどうでもいい気分になる。



考えてみれば、北京ダックなんて皮を食べるわけだから、あれが大好物である私が「皮不要論」を唱えても説得力はない。

北京ダック専門店に行けば、皮にそのまま砂糖をぶちかけてフゴフゴ喜んで食べる。温めた紹興酒と合わせると天国に行った気分になる。

カロリーがどうたらなどと書いてきたが、実態はそんなもんである。

ということで、「なるべく」皮は避けるようにしているわけだが、チキンステーキみたいに皮が剥がしやすい料理ならともかく、親子丼のようなマゼマゼ系だと皮を剥ぐわけにもいかない。

タマゴやタマネギや薬味という異物が混ざるからさりげなくペロンと皮だけ除外するのは難しい。


という言い訳を自分に言い聞かせて邪念抜きにかっこめるから親子丼はエラい。実に有り難い存在である。

生意気なようだが私が親子丼を食べるのは、まっとうな焼鳥屋に行った時ぐらいである。その手の店で食べれば外すことはない。

街場の出前専門みたいな蕎麦屋の親子丼も無性に食べたくなる時があるが、ぶよぶよした皮が付いているコマ切れの鶏肉がチョビっとしか入っていないのは興醒めだ。

たとえ衣だらけでも天丼かカツ丼にしておけば良かったと後悔するのがオチだ。ドンヨリした気分になる。

この画像の親子丼は銀座6丁目の「串銀座」で食べた一品である。この店は日本酒の品揃えが豊富で、鶏のレバ刺しやアホみたいにウマい温玉をツマミにヘロヘロになれる。

ヘロヘロになった後に注文する親子丼のウマさは驚天動地である。裏メニューである生卵かけ御飯も絶品だが、やはり親子丼である。

やたらと味の濃い上モノの生卵を軽めに火を通して作るわけだから官能的な味がする。エロティックである。もちろん鶏肉自体も旨味の強い逸品だからマズいはずはない。

ついでに言えばこっちはヨッパライ状態が完成している。先入観と上機嫌というスパイスまで加わるわけで極上の味わいである。

皮?。もちろん気にせずバクバク食べてしまう。

結局そういうことだ。

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